暗渠ハンター 音羽川①水窪川アゲイン!
この間行ってきた東池袋の水窪川ですが、日を改めてその下流の音羽川にも行ってきました。
これから数回に分けて音羽川のご紹介をしていきますが、
今回は水窪川についても少々調べてわかったことがあるのでまずは
「水窪川アゲイン」としてわかったことを整理します。
事前の調査もあまりせず、「地形が面白そうだから」と水窪川に行ったあと、
もっといろいろ知りたくて資料を探してみました
ところが、意外と水窪川に関する資料が見当たらず、あきらめかけていました。
その果てに出会った一番の収穫である参考資料は、
図書館の書庫にあった「坂まち通信」という地域雑誌の第1号(1992年発行)。
水窪川と、その「ふたご川」と呼ばれお隣を仲良く流れる弦巻川の特集でした。
これには興味深いことがたくさん書いてありました。
●源流の美久仁小路は池だった!
源流といわれているのがここ。
今は水の匂いも跡形もないところでしたが、実は元々蟹窪と呼ばれる湿地だったとのこと。
とくにこの小路は谷あいの池になっていたのだが、巣鴨プリズン勤務の米兵のフットボール場を造成するために隣にあった山(根津山)を切り崩して埋めてしまったそうです。
●サンシャインの近くに建ててる大マンションは、付近に紙漉きを伝えたひとのお屋敷だった!
ここに元々あったおうちが、望月家。山梨(長野の飯田?)からやってきて和紙作りの技を引っさげてきて、昭和30年代まで操業していたとのこと。(下流の音羽川・弦巻川はその地形から紙づくりに適した風が吹くようで、和紙業が盛んでした)
●勝手に「ルパン穴」と呼んだ穴は巣鴨プリズンからの下水口だった!
造幣局を狙ったルパンが作ったみたい、と評したこの穴。
これはやはり巣鴨プリズンからの下水口で、ここで水窪川に落とされていたそうです。
●君の湯横の駐車場は、木造のラムネ工場だった!
水窪川の流路に沿っていかにも何かの跡地、といった風情の駐車場がありましたが、これはラムネ工場の跡。
1990年すぎころ取り壊されてしまってそのまま駐車場に・・・。ただし製造に使った水は川の水ではなく地下水だったとのことw
ここはすでに暗渠先輩のHONDAさんが取り上げてらっしゃいました。さすが・・・。
さて、というわけで、水窪川の流路も全面的に見直し、改めて新大塚の南の坂の下あたりから音羽川(水窪川下流)を次回から辿っていきたいと思います!
これからの音羽川の見所はですね、
・護国寺のすぐそばに池がある?
・民家にあった巨大池
・水が染み出す崖の下の流路
・今宮神社の石橋跡
・・・・ってな感じ。あ、いちおう「鳩山会館」も掠りますw
では、お楽しみに!
今回含めて、今後のシリーズでご紹介する水窪川(音羽川)の地図はこちら。
より大きな地図で 水窪川訂正流路と音羽川 を表示
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コメント
おっ!坂まち通信に辿り着かれましたか!水窪川、弦巻川については多分あれが最も詳しい資料かと思います。私が初めてたどった時、案内をしていただいた地元出身の方に、頂きました。
投稿: HONDA | 2010年2月18日 (木) 09時10分
坂まち通信w
図書館で違うことを調べていた連れの助けを借りて、ひょんなところからシッポを捕まえたのですが
たどり着くのに一苦労でした;;;w。
投稿: lotus62 | 2010年2月19日 (金) 10時21分
石のアーチ形の排水口跡は再開発に伴い今月解体予定です。
投稿: | 2019年2月 3日 (日) 17時44分