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暗渠ハンター 九品仏川を遡る

大井町線緑ヶ丘駅南で呑川に合流する、九品仏川を遡ります。

まずはここ。

緑ヶ丘駅そば、南側で開渠となる呑川ですが、ここが九品仏川の合流地点。

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ここから西に九品仏川上を緑道が走っています。

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緑道はこの奥ですぐに大井町線で分断されます。

大井町線を越え、線路方面を見たのがこの写真。

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あ。大径マンホール跡でしょうか。

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ちなみに大井町線に沿うように続く側溝も付近に見られます。・・・枯れてます。

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さ、緑道を辿りましょう。

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2回目の線路交差です。どん突き。

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悲しいけどこのどん突きは無責任な粗大ゴミ置き場となっていました。

線路を越えると、自由が丘ももうすぐです。

ここはマリクレール通り。ちょっと書くのもこっぱずかしいですが、なかなかいい雰囲気ではあります。

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そういやここで毎年行われる「マリクレール祭り」では付近の商店街やらがたくさん屋台を出して賑わいます。

ワインのボトルをほぼ酒屋店頭価格で売るお店もたくさんあって、ベンチに陣取ってスパークリングワインなんぞをすぽーんと空けちゃうとかなり気分いいです。

今回も普通に日曜日なのにあんまりにも人が多いです。

さてこれを過ぎると3回目の鉄道との交差。東急東横線をくぐって、さらに4回目の鉄道交差・大井町線を三度越えていきます。

あー少し落ちついてきましたね。

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こういうのも安手の古代遺跡みたいで可愛らしいです。

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石畳の緑道が続きます。

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ほどなしてく九品仏という地名の由来となっているお寺、浄真寺の裏側に差し掛かります。浄真寺の山号が九品山、っていうんですって。(Wikiより)

浄真寺の墓地裏と緑道を繋ぐ側溝です。野趣溢れる一帯ですw

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こちら緑道と墓地の間に駐車場がありました。ここに通じる道も相当に川べりっぽいですねー。

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ここから緑道はあたかも林道のように変わります。リンプン系昆虫が現れないことを祈りつつ進みますw

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すると出るのがここ、ねこじゃらし公園。これまた野趣溢れまくってます。公園っつかこれ昔遊んだ空き地みたい!私が子供だったら大喜びです。

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ここから水が湧きでて小川を作り、緑道暗渠に合流している模様。途中の小川はたくさんの水生動物がいてこれまた私が子供だったら大喜び!!

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しかしこの湧水設備はどうも人工の匂いがぷんぷんです。きっともっと上流があるのでしょう。

世田谷区教育センターでいただいてきた資料「世田谷の川(2)呑川水系」によると、

「九品仏の台地を囲んでいた水田は、奥沢の底無し田圃といわれた深田で、大正の終り頃まで鷺草が自生していた」

とあり、古地図を見ても田圃だらけです。

というわけで周辺も調査してみることに。

緑道はこの公園の北数10m上流まで続いて終わります。写真奥の車止めが終点。

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しかし終点のある道路の反対側には、こんな不自然な歩道がありました。これ、きっと暗渠が続いてる・・・。

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ということで今度はこの道沿いを探ります。西にやはり数10mいくと、この道と直角にこんな緑道がありました。

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比較的まっすぐだし傾斜もあまりない&道の両脇はほとんどいまでも農地なので、たぶんこのあたりの田圃を潤し区切る農業用水だったのではないでしょうか。

また前記の資料も踏まえると、九品仏川の水源はねこじゃらし公園一ヶ所だけでなく公園を含むこのあたり一帯、結構広い範囲で点在していたのではないかと思います。

→後日昭和30年当時の地図を確認したところ、ねこじゃらし公園一帯は「久品仏池」という池だったことがわかりました。この一帯が水源だったようです。
→2015.9.30さらに追記。上の書き方だと誤解が多いので、下の2つの観点からも、取り消し線を入れることにしました。
・そもそも九品仏川については時代によって水源が変わっているであろうこと、
・「水源」という言葉自体も「最遠の湧出点」をさすのか単に「川の起点」をさすのかもあいまいで、ここではその定義もしていないこと
コメントでご指摘くださったhobokingさまに感謝申し上げます。

まあもともと九品仏川の上流は現在の谷沢川といわれていますが・・・。(等々力渓谷湧水に始まる谷沢川が、谷頭侵食によってどんどん奥に伸び、本来の九品仏川の上流に達して流れをそっくり奪ってしまったということです)

九品仏川・谷沢川のお話は、私自身で「逆川」(先日の記事でHONDAさんが教えてくださったやつ)をフィールドワークした後に書くことにします。

それでは今回の行程を振り返ります。

より大きな地図で 九品仏川を遡る を表示

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コメント

こんばんわ~。

>途中の小川はたくさんの水生動物がいてこれまた私が子供だったら大喜び!!

私子どもじゃないけど大喜びしそう・・・ここ楽しそうですねえ~~。


あと、マリクレール通りって暗渠だったのですか!!!おお~~~。おおお~。自由が丘行くときの楽しみが増えました。

投稿: nama | 2009年9月18日 (金) 00時40分

マリクレール通り、ちょっと下ったり上ったりするといきなり「暗渠然」とした風景になりますよ♪
ぜひこんど行ったとき、楽しんでくださいw

投稿: lotus62 | 2009年9月18日 (金) 23時13分

古い記事ですが・・・

九品仏池は調整池で水源ではないですね・・・宅地造成で作った人工池ですから。

どこかの記事で訂正してるのかな?

投稿: hoboking | 2015年9月30日 (水) 05時45分

hoboking さま
いつもご教示ありがとうございます。
すみません、まだどこにも訂正していません!
おっしゃる通り、この書き方だといかにも九品仏池が過去から現在まで水源であるかのようですね。
・水源に関しては時代によっていろいろ変わる(諸説ある)川であること、そして
・「水源」というだけでは「湧いている場所」なのか「川の始まりとしている場所」なのかも不明確でした。
せめてこの2点だけは本文に折を見て追記するようにいたします。
ご指摘、感謝申し上げます!

投稿: lotus62 | 2015年9月30日 (水) 09時12分

地元だから・・・というのもありますが、この九品仏川支流と逆川・谷沢川-等々力渓谷の関係性というのが(ハッキリした確証はないものの)面白いところで(笑)

自由が丘-緑が丘付近の「緑小通り」も九品仏川支流の一部(用水路?)だった話もあったり、
自由が丘1丁目15あたりに元はその水源の池があって、その付近から南に自由が丘1丁目5の城南予備校の西脇あたりまで暗渠(たぶん池のわき水を九品仏側に直接戻すように作られた物)があったり、
今は商業地区〜住宅街ですが、かなり土地改良に勤しんでたのだなぁとか。

「暗渠」もいいのですが、暗渠は前の開渠の段階で人間の都合で流れを変えられてしまってたりしてしまうので、元のうねる川の履歴(ばかり)追ってしまうのです・・・

指摘がなんか城南地区の一部の重箱の隅をつつくようでごめんなさいです^^;

投稿: hoboking | 2015年10月12日 (月) 14時45分

hobokingさま
そうですね、ここはほんとうにおもしろいです。
九品仏あたりの平らな一帯については、以前、こんな記事を書いたときに、みなさんにたくさんコメントを通じてたくさん勉強させていただきました。
また自由が丘の街に埋もれる九品仏川の支流は、まだ本格調査には出かけていませんが、
かねてから面白そうだと思っておりました!
hobokingさまは「流路」派なのですねw 点と点を結ぶ新たな意味のあるルートが見つかると、すごくうれしいですよね。

投稿: lotus62 | 2015年10月13日 (火) 09時36分

実は古地図には記載があるのですが、九品仏側は、緑が丘2-5付近(スーパー文化道の西側)から北に支流があって、ここはモロ暗渠歩道です。

ここより東側は「緑が丘」の丘なので、北側に進んだ後、立源寺(中根)の丘に阻まれ、今度は西側へと緑小通り沿いに流れ、東横線を越え、先出の自由が丘1丁目15あたりの水源の池に繋がっていたようです。

この地区は早い時期から区画整理がされたので、実際の流れも区画に沿ってカクカクに曲げられたようですね。


で、「憶測」(笑)なんですが。


九品仏側って、緑が丘2-5付近(スーパー文化堂付近)から、吞川に合流するまで、「高低差が無い」んです・・・。
で、古地図だと、九品仏側は吞川に合流してないんですよ・・・(書き漏らしなのかもしれませんが)。

と、考えると、九品仏川は、自由が丘1丁目15あたりの(にあった)池を水源として、等々力渓谷側に流れていた?とも・・・。

これだと九品仏地区の(高低差が無いための)大湿地帯については説明できます。

ただ、谷沢川と逆川・九品仏川の堆積物が同じというところは説明できませんね(笑)
やはり吞川に流れこんでいた(緑小通りの流れは末端支流)というのが正しいのかな?


何にせよこの九品仏川流域は、湿地帯の土地改良に江戸時代初期(以前?)からアクティブ取り組んでたのだなぁと思うと、面白いですねぇ^^

投稿: hoboking | 2015年10月20日 (火) 13時46分

hobokingさま
あ、ごめんなさい。前回コメントで私は大事なリンクをはれていませんでした!「こんな記事を書いたとき」に「みなさんにたくさんコメント」いただいたのはこれです。
http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-2d83.html
ちょうどこのやり取りをしている頃、世田谷区の郷土資料館で等々力渓谷の展示があり尾山台近辺の古地図の展示があったりして盛り上がったのを思い出しました。
その後sumizome_sakuraさんから直接伺った仮説も、「九品仏付近は巨大な湿原で、九品仏川側にも谷沢川側にも(時代によって気ままに)どっちにも流れ込んでいた」といったものだったかと…。
その説には私も大いに納得したものでございました。

投稿: lotus62 | 2015年10月21日 (水) 09時35分

そうですね。

九品仏川は古地図では、今の九品仏浄真寺(かつては奥沢城)を「Ω」城に囲んで蛇行しており、ほぼ「堀」の代わりだったようで、九品仏側の北側は広大な湿原で、自然の要塞だったようです。

現在の九品仏川末端は、宅地造成の時に九品仏浄真寺の北東に作られた調整池「九品仏池」へ流れ込む土地改良(排水)用支流でして、逆川が九品仏川の本流でした。

逆川が本流と言うことは、谷沢川は九品仏川の上流にあたり、つまりは「等々力渓谷はなかった(後に人工的に作られた)」ということになります。この説には結構自信があります(笑)

となると流れ込む先となるのですが、これはやはり「吞川」で間違いない(そういう時期があった)と思います。

で、ここから「高低差」と「湿地」の話になるのですが、ご存じの通り、九品仏浄真寺から東側の逆川地区は低く、この地区は川と言うより沼というか「広大な低湿地」であったことは間違いありません。

で、九品仏浄真寺から西側の自由が丘地区は比較的水はけの良い湿地「一面の竹藪」でして、これは記録に残っています。

つまり、(今の)等々力渓谷の頭から、緑が丘駅付近までは、地形図通りの「一面の大湿原(&竹藪)」だったと言うことですね。

面白いのは、吞川本流の八雲付近には「東光寺」と「氷川神社」があり、村の行政地として栄えていました。

そして、碑文谷村からの街道沿いにある立源寺と合わせ、今の目黒通り付近の「丘」までは栄えていたんです。

また、奥沢神社のある「丘」も小規模ではありますが栄えていて、逆に言うと、九品仏川流域の大湿地帯は「暗黒地帯」だったということになります。

「暗黒地帯」というものが「どういうもの」かと言えば、開墾されることなく「租税」の適用されない土地ということです(笑)


この「暗黒地帯(大湿地原)」の土地改良をして、農地にしよう、それもできれば「租税をかけられないままで」という動きがあったと「推測」します。

そこで開削されたのが「等々力渓谷」だと考えていまして、この時期に九品仏川は多摩川に流れ込むようになり、吞川への流れは(一時的に)途絶えたと考えられます。

この排水(土地改良)事業は半ば成功するのですが、元々が吞川へ流れ込んでいた物(そういう高低差)ですから、九品仏浄真寺付近の湿地は残ってしまったのだと思います。

そこで今度は吞川方面への流れを「より深く掘る」ことで復活させ、本来方向への排水を行い、結果的に吞川・九品仏川合流地点の「あの深さ」になったと想像します。

ところが、これだけ大規模な土地改良なのに、古地図以外に記録がないんですよね(笑)

これはなんでだろう?と考えると、つまりこれで生まれた農地は「租税」のがれの「隠し農地」だったのではないかというのが「ありそうな」話かなと。

それで古地図には当時の川の流れが変遷どおりに記載されているのに「(正式な)記録がない」のだと。

なんせ荏原郡の奥地の奥地の話で、大山街道(246)とも中原街道とも「丘」というか「(大岡)山」で隔絶された地区ですからね(笑)

で、この事業をしたのは(たぶん)九品仏浄真寺であり、従って、この土地改良地区は目黒区(かつては衾村)ではなく、世田谷区(玉川村)に属すると。

玉川村の行政拠点は、今の玉川総合支所で、それこそ等々力渓谷が始まる場所でして、ここがどれだけ「要地」だったかがわかりますね(タダの川の合流地点ではないんです)。

まぁなんせ個人で調べてることですから、漏れや間違いもあると思いますが、おおよそこんな話だと思いますよ^^

投稿: hoboking | 2015年10月26日 (月) 00時17分

hobokingさま
丁寧かつわくわくするようなストーリーのコメント、
どうもありがとうございます。
おもしろいです、ってかあり得る!
黒幕が浄真寺さん、という案も腹落ちしますね。
それに、「記録がない」という事実もなるほど符号する!と。
地形や寺社などの装置から昔のパワーバランスを想像することは、まだまだ私にはできません。
sumizome_sakuraさんもhobokingさんも、ほんとすごいなぁ…。

投稿: lotus62 | 2015年10月26日 (月) 16時04分

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