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2006年9月

藍ヶ江~命の多様さ

夏の短い休みを使って、八丈島に行って来ました。

行きたいと思って10数年。やっとあこがれの伊豆七島に上陸したのです。

2泊3日の短い旅でしたが、知り合いのお宅を宿に、満喫させていただきました。

島では釣り糸でも垂れながらのんびりしようと思ってましたが、初体験のシュノーケリングに填りまくり。

初日は乙千代が浜、二日目は底土港と潜ってもう麻薬状態。

最終日は朝しか潜る時間がありませんでしたが、青色フェチの私はその名前に惹かれ、宿に近い藍ヶ江港(ご参考Web)に早朝から潜りに行くことにしました。

知り合いの宿から徒歩で20分ほど。下り坂から一気に拡がる港はまさに藍色です。

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さっそく潜ってみると、昨日一昨日のシュノーケリングがまるで今日のための練習のようで、

十二分に堪能できました。

何しろこの広い港独り占めなんですから。

さすがみなとだけあって、海にはいるといきなり水深が恐くなるほど深くなります。

深い海に見えるのは、ウツボやフグ、青い色をした熱帯魚、私の身長ほどもあろうかというでかいぷっくりした魚。

イカの群れにも出会いました。コドモのイカを精いっぱい追いかけると、こちらに向かって墨を吐いて・・・。

パスタにしたら美味いだろうななどと考えながらさらに追跡。

イカって泳いでいるところを正面から見るとウミガメみたいに見えるんですね。

しかし感心したのは、海の深いところ、浅いところ、実にいろんな魚がいること。

Dvc00019※実は前日の夕方、ほんのちょっとだけこの港の外側の防波堤で釣り糸をたれてみましたが、がんがん釣れました。(10匹以上は釣れたのですが、食べられるものは写真の中央・小さなカンパチのみ;;;)

こうやってお互い棲み分けながら、いっろーんな命が脈々と生きているんだなあ。

なんだか地球の懐の深さを改めて感じました。

私の命も、こんな地球の一角にこびりついているにすぎないけど、でも確実に生きている、生かされている。

昨夜真っ暗闇から見たこぼれるような星(実際流れ星がびゅんびゅん見えた)も、そんなことを私におしえてくれました。

もっと、人やいろんな命に、優しく生きなきゃなあ。

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赤瀬川原平さんの「千利休~無言の前衛」

茶道、というものを誤解していました。この本を読むまでは。
【読む前の茶道観】
・形式ばってる。いちいちしぐさをがんじがらめに決めてそれをまねして・・・形式を追求して何になるのか?
・そんな形式を作った利休という人は、なんか堅苦しい人なのではないか?
【読んでからの茶道観】
・茶道で一番大切なのは「もてなしの心」というコンセプトである。
極論すれば形式はどうでもいいが、
そのコンセプトに身をもって到達するためのプロセスとしてさまざまの「形式やきまりごと」がある。
・自分の考える「粋」を権力に抗ってでも大切にし、その粋の味わい方の方法論を体系化したのが利休である。

こんなふうに、それまでの私の偏見に満ちた茶道観を一気にぶち壊してくれました。

この本の著者・赤瀬川原平という人は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%80%AC%E5%B7%9D%E5%8E%9F%E5%B9%B3
こんな人。
「トマソン」や「路上観察日記」関連のこの人のエッセイが好きなのですが、
その延長線上で何の気なしに買って読んだのがこの本でした。
赤瀬川さん、80年代後半の映画「利休」の脚本を書いています。
(監督:勅使河原宏 衣裳:和田ミエ のこの映画も相当面白かったです!)
その制作過程で赤瀬川さんが得た利休に対する知見を
「利休こそ、古の『前衛芸術家』である」という視点で軽やかに書き綴った名著!
実際利休がどんな人だったかは別にしても
その利休を(あるいは茶道の世界を)捉える赤瀬川さんはほんとに鋭いなあ。

この本のおかげで、
「茶道は日本が誇るべき”思いやりの文化”」であり、
「茶道はありふれた風景から「粋」を見つけ出す装置」なのだなあ、と思った次第です。

ちなみに、この本を読んだ80年代終わり~90年初頭ころは、
よく野郎ども大勢でその辺の海や川でテント張って焚き火して、
という椎名誠さんの「東日本何でもケトばす会」の真似事をして遊んでいました。
この本で茶道に目覚めた私は
そこに緋毛氈(赤いブランケット)と茶道具を持っていって
焚き火宴会の翌朝寝起きに茶を立てて(野点?w)野郎どもに飲ませ、
侘び寂びを強要したりしたものですw。

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「sarava!」のベースが凄い。ベース日本一(と思ってる)細野さんの演奏。

Img_11013_528633_0 私はベース弾きなのですが、
一番尊敬し敬愛しあこがれなのが
細野晴臣さんのベースです。

YMOのプロデューサーであり作曲家、ベーシストとして有名な細野さんですが、
そのベースの腕前はもう舌を巻くばかり。

私は高校生時代バンドでキーボードをやっていたのですが、
細野さんのベースに感銘を受け大学時代にベースに転向。
こんなベースが弾けたらいいなあと転向を決心させたアルバムは、
この高橋幸宏さんの初めてのソロアルバム「sarava!」(1978年発表)でした。
もちろん細野さんのベースだけではなくこのアルバム自体ものすごい出来で、
当時の日本のPOPSの領域から強烈にはみでている珠玉の名作です。
ロマンチックな音の洪水!

で、ここでベースを務めている細野さんが、幸宏さんを食っちゃうくらい凄い!
地味な音色なのですが、音数多くもうシャワーみたいに鳴ってるんですよ、
ベースが。
細かなリズムを自由自在に刻んで動き回り、
所々では音階もわかんないくらいな細かな音が鳴っています。
「どうしてこのタイミングでここ刻む~?」みたいな。
でもそれが独特のグルーブを、ほんとに細野さんでしか回せないようなうねりを生んでるんですね。
何度もコピーして自分の引き出しにしようとしましたが、
こりゃもう奥が深すぎる;;;;。
こんなリズム感とセンス、なんとかこれからでも自分のものにしたいと今でも真剣に思っています。
(ちなみにこの3年後に発表されるYMO「TECHNODELIC」でのベースも凄い!)

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蛇崩

今日は「蛇崩(じゃくずれ)」の話。
中目黒と祐天寺と三宿の中間地点くらいにある土地の名前です。

先日、渋谷~青葉台~中目黒~三宿~下北沢と恒例の自転車プチ遠征に出掛けました。
そのとき、以前から気になっていた「蛇崩」を通ったのです。
写真は、「蛇崩」の交差点。
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なんでこんな名前なんでしょう。
蛇の大群が押し寄せてきてこの場で息途絶えた、
あるとき崖崩れがだだーっと蛇行状に起きた、
神話時代にヤマトタケルが大蛇を退治した・・・・
いろいろ想像がふくらむ名前です。
でもちらっと調べてみると、
http://www.city.meguro.tokyo.jp/info/rekishi_chimei/category/chimei/chuou/04a.htm
こんな説もあったりして。

いずれにしても、なんだか口に出して言ってみたくなる地名ではありませんか?
現実にはもうすでに「蛇崩」という地名はなくて、
ここにこうして「蛇崩交差点」が残るのみですが、
渋谷から環七方面への抜け道としては結構メジャーらしいです。「蛇崩通って野沢に出る」とか。

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Yellow Magic Orchestra 「公的抑圧 PUBLIC PRESSURE」

Yellow magic orchestraが好きです。
はじめてYMOと出会ったのは、1979年のはじめ。
そのころ出た「公的抑圧 PUBLIC PRESSURE」はいまでも大好きなアルバムです。
(ほかにもYMOでは「BGM」など大好きなアルバムがあるのですが、それは後述)
Img_11013_178477_0
第1回の世界ツアーでのライブアルバムなのですが、
契約の関係でツアーギタリスト・渡辺香津美氏のギターが
YMOメンバー坂本龍一氏の後のシンセスタジオ録音に差し替わっています。
しかしそれもこのアルバムではかえって「テクノ色」を強める結果となっているところが妙。
当時のミュージックシーン(ってゆーか私的音楽観)には衝撃的でした。

腰が抜けるほどの衝撃でした、この1枚。
特にこのアルバム3曲目の「東風」と4曲目「The end of asia」が出色。
これらのソロパートのシンセは涙が出るほどかっこいい!
聴いたことのないグルーブ、味わったことのない音場が私を襲ったのです。

今でもクルマ運転中や、仕事での徹夜で眠くなってしまうときにこのアルバムを聴くと
俄然ドーパミンが吹き出て元気になってしまいます。

ライブ特有の勢いがあるだけでなく、
繊細な「音のきらめき」や「コードの響きのときめき」が詰まったアルバムです。

電子音なんて所詮・・・といったつまらない80年代のアンチテーゼなんて吹っ飛ばす勢いの
素晴らしくも新しい「音楽」がここにあると思います。

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吉祥寺いせやに。

    ひさびさに何の予定もない日曜日。
暑いときって、さらに汗掻いてみたくなる性分なんですよ。
というわけで、今日の晴れた日曜日は、自転車で吉祥寺に行ってみることに決定!
せっかく晴れたので、午前中部屋を掃除して布団を干しっぱなしにして。
11時に出て、12時に吉祥寺着、一時間ゆっくりヒルメシ食って、2時頃帰ってくれば
夕立もあるまい。
なぜ吉祥寺かって言うとですね、
井の頭公園入口にある「いせや」に行きたいからなんですよ。
公園の入り口で、スタバだのイタメシやだのに負けずに昔っから炭火の焼鳥を続けている名店。
きっと店の名前は知らなくても、
「井の頭公園のそばで昼間っからいい煙りだしてる焼鳥屋」といえば記憶にある方もおおいはず。

自転車で汗掻いた後にいせやで思いっきりビール飲みにいくんだぁ!
というわけで走りましたよ炎天下。
私の住む世田谷からは、井の頭通りに沿って向かいます。
途中、人見街道に入ってゆるゆると住宅街を抜けました。
いやー、武蔵野ですねえ。自然が一杯。一番上の写真の道は人見街道から井の頭公園に抜ける道。
もう山の中ですよ、この道は。
だってほんとに蝉が飛び交ってるんだもん(たぶんクマゼミとアブラゼミ)。
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道中、場所の履歴をいろいろ想像しながら走りました。
自転車走らせてる時って、頭の中が空っぽになるんですよねえ。
いろんなアイデアが浮かんできたり、すごい昔のこと思いだして1人笑いしたり・・・・
そんな時間を満喫出来ます。
そうそう、途中羽根木を通っていったんですが、ここ、20年前に私が住んでいたところなんですね。
20年前も友達からもらったボロ自転車で都内のあちこちってたよなあ、なんて思いだしたら、
20年たってもこれかよ>自分 と複雑な思いにかられました。
人生って何なんでしょう;;;;。

そんなこんなで吉祥寺いせや到着。
12時10分前だったんですが、12時の開店を待って並ぶひと数人・・・・。
やはり人気の店ですねえ。
写真は外観と、入り口の焼き物コーナー。

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煙で燻っています。Img_11013_97108_2

お客さんは私みたいなぶらり1人客が半分、のこりは年老いた夫婦、小さい子どもに昼ご飯くわせにきたパパ、外人カップル、
今日の東京湾華火大会に初デートでさそったマッチョな30代の男と彼には気がなさそうな浴衣姿の30代後半女性カップル、など。
基本的に「肩の力が抜けた」ひとばかりで、大変居心地よろし。

私はまず瓶ビール!で焼き物を数本と
野菜もとらにゃってんで野菜サラダ(赤いサクランボ入りでした;;;)を注文。
私の座った席は窓際で、そこからはすぐに井の頭公園に入る道が見えます。
さすが日曜日で、もう家族連れやらカップルやらですごい人通り。
それをみながら、なんだか不思議な気持ちでサケを飲んでいました。

しかし汗のあとのビールはうまい!
Img_11013_97108_3さらにこのいせやは焼き鳥をちゃーんと炭火で焼いてるんですねえ。
口に含むといーい香りがするんですよ!(そのくせ一本80円とお手頃)
その後タコぶつとお酒をきゅっとやってお会計。2000円足らずを支払い、帰路に向かいます。
往復役約25キロ。結構な運動が出来ました。

このあと家に帰ってから、
さらにもてあまして恵比寿、麻布、六本木方面に自転車を走らすことになるのですが、
そのお話はまだ後日。

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ボサノバ、特にジョアン・ジルベルト

ボサノバが大好き。
特にボサノバギターのスタイルの祖とされているジョアン・ジルベルトが大好きです。

なぜ、いつからボサノバが好きだということは長くなるので後述しますが、
ジョアンが大好きです。

奇蹟の公演と言われた2003年、2004年の東京国際フォーラム公演も見に行きました。
(ボサノバを開発したと言われる1958年以来、それまで一度も日本で公演したことがなかったのです)

そして2006年。今回三度目ですが、興行主によると「最後の奇蹟」というふれこみの公演も
見に行くつもりです。

ジョアンのすごさは、ギター1本と歌声だけによるシンプルなステージ。
これに尽きますね。
観客にも相当の集中力が要求されます。
ギター1本なのに、いろんな音が出てくるんです。
私は前回聴いていて、オルガンのような鳴りもきこえてきました。

とにかく凄い。
楽曲自体もものすごいよくできてるのですが、そして声も素晴らしく良いのですが
自由自在に小節を短くしたり長くしたり、そのテンションがすごいのです。
そこに、ボサノバギターを創出して40年近くなる3フィンガーピッキングが絡む。
素晴らしい緊張感のあるステージです。
詳しいことは、2006年公演を見に行ってからさんざん書こうと思います。

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自転車と「場所の履歴」

四輪車も好きだが、二輪車も好きだ。ってゆうか、自転車が好きだ。
私の愛車は、もう5年以上前に買ったママチャリ(ノーマル仕様)。
何の手も加えていないどころか、野ざらしなので相当傷みも激しく、
むしろ「みすぼらしい」感さえあります。
Img_11013_23429_0_1
しかし!自転車は楽しいのだ。
羽根木に住んでいた学生時代も、
暇に任せては都内のいろんなところに無目的にこいで出かけていました。
夜中に悪友たちの住む経堂へ、
夏の暑い日に羽田空港見学へ、
秋には麻布の坂を上り下り・・・。
最近も、待ち合わせまで時間があると、最寄の駅ではなくいくつか先の駅まで自転車をこぎ、
そこから電車にのって目的地まで行く「自転車プチ遠征」を続けています。
この前の土曜日は自宅から自由が丘まで40分ほど自転車(距離にしておよそ8キロ)。
そこから東横線に乗って待ち合わせ場所へと向かいました。
気持ちよかったですよー。めっちゃ暑かったけど(真夏日の炎天下)・・・。
まあひとしきり大汗書いた後に待ち合わせで人と会うことになるので、
待ち合わせる人やシチュエーションよっては必ずしもお勧めは出来ませんが・・・。

クルマで行ったらほんのわずかの距離ですが、スピードが速い分だけ味わいがありませんよね。
クルマって基本的に密室だし。
適度なスピードで風を感じながら進む自転車のひとつの楽しみは、
「景色や場の雰囲気を味わいながら移動できるところ」でしょうね。
道々赤や白の百日紅がいろんなところから顔を出してました。
強い日差しがとっても似合う花ですね。
様々な場の味わいも素敵です。
三軒茶屋商店街の雑踏。歩く人たちを遠慮がちに避けながらゆっくり進みます。店のたたずまいや通行客の客層・話し声からも、商店街の顔が見えてきます。
野沢から柿の木坂、平町、緑ヶ丘の住宅地域。エントランスのポーチだけで私のアパートくらいある近代要塞みたいな家、古くて味わいのある門構えの家や、小さくてもしゃれた造りの瀟洒な家、ベランダに布団や洗濯物をびっしり干している家・・・。目に留まる家々の暮らしぶりや家庭事情を想像していると、移動時間はおおいそがしです。

以前、こう教えてくれた人がいます。
「場所には履歴があるのね」
一見、空間的な構成体にすぎない「その場」にも、構成要素として時間があり、
「その場」はいつも「むかしどういう場所だったのか」という履歴を内包している。
それが、「その場」の雰囲気や味わいにおおきく影響している、という意味だと思います。

さて、もうひとつの自転車の楽しみは「地図を体感できるところ」です。
私は地図が大好きなんです。
地図の上で移動したり、
実際にどこか移動したあと地図を開きながら道筋をたどってみたり(地図については長くなるからまた別の機会に詳細を)。
おおまか頭に入っている都内の地図を、ゆっくり頭の中で辿りながら走るのがすごく楽しいです。
きっと、専ら地図上でしか辿ったことのない道の「場所の履歴」をカラダいっぱい感じながら進んでいけるから、楽しんでしょうね。

場所の履歴を、私の行動の履歴に重ねながらこの夏も過ぎていくわけです。

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