暗渠ハンター 彩の国 藤右衛門捕物帳⑥浦高裏まで追っかけろ!

不定期連載の藤右衛門川シリーズ。

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google earthさんと東京地形地図さんのお力で作図させていただいております。

緑の支流「天王川」に移りまして今日は
緑の3」の支流のお話。

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その前に、冒頭地形図には載せませんでしたが
「緑の3」の手前の小さな支流から。
天王川上の緑道にこんな開渠が接続しています。
領家1-6あたり。
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閉鎖された開渠。先回りしてもなお閉ざされて続きます。
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橋跡、と言っていいのでしょうか。
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しかし開渠も同ブロックでおしまい。
ここがその終点です。
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赤鉄板や木の杭のようなものが架けられ
静かに伸びていきます。
この先領家1-8では加工度が上がり、
どうやら歩道の下に・・・。
便宜上これは「領家1丁目支流(仮)」と呼んでおきます。

************************

さてそのすぐ近く、領家1-7のブロックから
より長くはきりと伸びる支流があります。
これが「緑の2」。
ここは浦和高校を抜けてその先まで辿れるので、
浦和高校支流(仮)」と呼びましょう。
天王川が太い道路と交差するところにある肉屋さん。
(下の写真右に見切れているオレンジ色のファサード)
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この肉屋さんの前を通ってすぐに隠れていく支流を発見。
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これです!
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おお、細いところに入っていく入っていく。
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蓋暗渠が続いています、ひっそりと。
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その後いったん表舞台に出て蓋暗渠が続きます。

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がしかし正面の選挙ポスターの向こう側へ。
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裏側に回ってみましょ
領家1-14のブロックをこんな風に貫いています。
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ちょっと奥まで入ってみようかな。
ここで限界・・・。
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回れ右してこの先を追いましょう。
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緑の金網が見えると安心しますね。
まだ続いているぞ、と。

領家2丁目に入り2-5。
ここに出てきます。
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ここからが面白い展開。
上の写真左に見切れている紅白のガードレール。
浦和高校支流(仮)暗渠はここでかくっと曲がって
このガードレールに沿って流れていました。
見てくださいこれ‼
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川だったことの名残と思われる、
橋のような家へのアプローチ。
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その先には植物園。
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ここでまたかくっと曲がって
浦和高校に向かって真っすぐ北上します。
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おー‼道路の左側から右側に
見事な切り返しです。
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さらにこの切り返し地点では東からの短い支流も合流という贅沢さ。
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この短い支流はまっすぐ行って、ちょっと小高い大地に上がるところで途切れます。
そっちは省略、浦和高校を目指しましょう。
さきほどの暗渠はこんなふうに浦和高校敷地に吸い込まれていきます。
うーん、これは捕り逃すパターンか…?
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高校の東側の道路を探索に行くと、
こんな怪しく取り繕ったような歩道が現れました。
先に進んで南方向へ振り返ったところなので、
浦和高校は写真の右方向にあります。
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そしてこの歩道の端には・・・。
こやつ、現れたな・・・ふっふっふ。
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この先あまりにプライベートな空間だったので、
ちょうど玄関先にいらしたこの御宅の方にお断りして
入らせていただきました。
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この先突き当りで90度左に曲がって続いています。
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このあたりは20年前まで一面畑だった、
とはこの御宅の方のお話。
暗渠化された時代に関しては不明です。

さてこの暗渠を先回りして追っていきます。
あった!
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しかし残念ながらこの捕り物もここまで。
行方はここで途絶えます。

まあここまで終えたら満足です。すぐそこは分水嶺となる大きな通り。
終了として、次行ってみよう。

一枚だけおまけです。
浦和高校までまっすぐ向かう途中の「切り返し」地点に
流れ込んでくる支流について触れましたが、
その上流の風景をワンカット。
暗渠上の利用にはお決まりの防災倉庫とゴミ捨て場。
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川に蓋をすることで公共スペースを確保する、
という構造は東京の主要暗渠とおなじですね。

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暗渠ハンター 蓮根川の支流のやちよばし

以前書いた記事、出井川と中山道の交わるとこ残る橋跡の話

ここに「テン」さんという方がコメントをくださいました。
近くの蓮根川の支流に「やちよはし」と書かれた橋の親柱が残っていること、
そしてその「石柱」にはテンさんの小さい頃の思い出も詰まってらっしゃること。
こんなブログをやっていると、
地元の方や昔を知っている方からのコメントは宝物のようにありがたいもの。
ざっと住所も教えていただいたので居てもたってもいられなくなり、
さっそく現場を見に行ってきました。
場所からご紹介すると、ここ。

より大きな地図で 出井川周辺 を表示

付近を「東京時層地図」からのキャプチャで見てみましょう。

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下は昭和戦前期。
画面の左から右に二つ流れが横切り、右下で両者合流して
さらに右下へと向かっています。
これら2本はどちらも蓮根川の支流。
右下で見切れてから蓮根川本流と合流していきます。
今回ご紹介する橋跡はこの2本のうちの上の1本。
テンさんから教えていただいた橋名を取って
蓮根川やちよはし支流(仮)」と呼ぶことにします。

さて東京時層地図キャプチャでの上半分の地図は現代。
右のまんなかへんに赤い郵便局のマークがありますが、
やちよはしはまさにこの辺り。

実はここは数年前に猫またぎさんもご自身のブログで
取り上げていて、私は当時土地勘がなかったものですから
するっと忘れておりました。
猫またぎさんに敬意を表しつつ、こちらをご紹介させていただきます

埼京線浮間舟渡駅で降りて徒歩。
橋付近である「郵便局」、志村橋郵便局までやってきました。
その郵便局裏に流れる暗渠。
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これは反対方向のこっちから
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流れてくるものです。

東京時層地図を眺めていると、この支流は独自の水源から湧いたものではなく、
ある時代はさらに北を流れる新河岸川から、
そしてある時代は同じ蓮根川の上流からの分水を通していたようです。
田んぼが多かったようですから、
あげ堀・回し堀のように
人の手によって作られた流れなのではないでしょうか。

さあ、この暗渠に足を踏み入れてみましょう。
おお、まんなかに大きな木。
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植栽豊かな暗渠ですね、そんなに幅は広くないのに…。
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いいなあ、この御宅にとってはこの暗渠は庭ですね。
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出口が見えてきました。
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ここにあるはず。

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あのプランターの塊の裏にはやちよはしの親柱があるはず・・・
心ときめかせ回り込んでみると。
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おおー。
ちょこんと頭を出してる親柱が並んでいます!!
よく残ってたねえ君たち。
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隣のタバコ屋さんのご主人がたまたま店の外にいらしたので、
お話を伺ってみました。
・昭和50年代半ばにこの川は暗渠化された。
・上流にある製薬会社やインク会社の廃液によって、大変に臭く汚かった。
・暗渠工事時、橋も撤去するとのことだったが、なんだか勿体なくてこれだけ残してもらった。

とのこと

田んぼに水を回すためにおそらく掘られた川が、
ある時から廃液を運ぶようになってしまったわけですね。
年代から言って、
おそらくこのご主人はこの川がきれいだったころを知っているはず。
そんな思いもあっての
「ひとり橋跡保存会」活動だったのかもしれません。
いずれにしても、今私たちがこの橋跡を眺められるのは
このタバコ屋のご主人のおかげであるわけです。
ご主人に心から敬意を表します。
ここを教えてくださったテンさんにも改めて感謝申し上げます。

親柱にある表記は、
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右が「やちよはし」、
左が「昭和三十一年三月完成」。

ご主人によると、
「犬がおしっこかけていくから、だんだん真鍮の文字が読みづらくなってるんだ」
とのこと。
消えていくものは仕方がありません、
せめてこのブログにしっかり書き残しておきましょう。

さてここからは蓮根川との合流地点まで下ってみることにします。

橋跡の反対側はこんな景色。
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整然とした歩道が続きます。

さらに先は整然というより暗渠然。
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板橋区によくあるのっぺり暗渠ですね。
出だしの「やちよはし」辺りの植栽はむしろ珍しいのでは。

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おおー暗渠傍に風呂釜!(釜なのかw?)
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ここでもう一本の支流と合流するようです。
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そして中山道。
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残念ながらこちらには橋跡はありませんでした。

中山道のむこうは「蓮根川緑道」。
正しくは「蓮根川支流緑道」だと思います。
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椅子なのか。遊具なのか。
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ここでかくんと右に折れて
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まっすぐ行って蓮根川本流と合流し、新河岸川へと向かいます。

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本流はこちら記事参照

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暗渠ハンター 彩の国 藤右衛門捕物帳⑤球場裏まで追手を送れ‼

不定期連載、浦和は藤右衛門川のシリーズに戻ります。
前回から藤右衛門川の支流、天王川を巡っております。
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google earthさん東京地形地図さんいつもありがとうございます。

今回は「緑の2」です。
前回「緑の1」の冒頭でご紹介した、天王川に注ぐ二つめの支流がここ。
まずはその合流地点からおさらいです。

右の奥に続くのが天王川(上流方向)、
まん中の車止めからまっすぐ奥に遡れるのがこの支流。
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吸い込まれるようにふらふらと追いかけていきます。
お、暗渠蓋に金属加工が施されている独特のパターン。
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正面は小高い大地になっていますが、
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向こうに見えるクルマの後ろに緑の金網が見えますね。
あそこで右に逸れていくようです。

こんなふうに。
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立ち入れないので反対側に回ってみましょう。
こんな。
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覗き込んでみると、ずいぶんな崖の下を回り込んでいるようです。

さらに先も立入禁止地帯が続きます。

立入禁止が解けた次のブロックでは、
蓋暗渠となり西にまっつぐ。大きな建物にぶつかってい消えてしまいます・・・。
この建物は、さいたま市営浦和球場でした。
Img_0111

うーん。藤右衛門川が駒場運動場を貫いてその奥に流れを作っていたように
ここももしかしたらこの球場の裏側に流れが続いているかも…。
と適当な想像で向こう側に回り込んでみます。
と、果たしてありましたわw

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追っていきましょう。
ずんずん続きます。
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あー結構好きな鄙びた感じになってきました。
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こうなるとこういうアングルもやってみたくなるわけです

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暗渠でしゃがんでいる人を見つけたら私だと思ってください。

とてもいい味わいなのですが、ここで暗渠道は終わり。
下写真のトラックの右側のところが暗渠の出口です。
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本太3-36あたり。
ずいぶん西に来ました。
地図で見ると宇都宮線までもすぐそこです。

まあ単純ですがここは浦和球場を貫いていくから、
天王川 浦和球場支流(仮)」と呼ぶことにします。

以降はちいさい支流のおまけ。

天王川本流に戻って少々上流に行ったところ。
東から合流する支流がありました。
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遡っていくと、浦和ルーテル学院高等学校の敷地にぶつかります。
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左右に支流が走っているのですが、
その左方向は。
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雨でもないのに水たまり・・・。
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・・・これ、湧いてます。
湧き水が染み出しているようです。
ルーテル学院の校庭から。
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そして近くの民家敷地から。
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こんな水も集められて天王川、藤右衛門川を流れ下っていくんですね。
こちらは「ルーテル湧水支流(仮)」としておきます。

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暗渠ハンター 田中山いまむかし

初めて行く取引先のビル。
田中山ビルという名前を頼りに神谷町から辿り着きました。
そのビルのエントランスに、こんなものがあったんです。

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「田中山の由来」と書いてある。

近寄ってみると、
地図の下にこんな文言がありました。
以下転記。
****************
当ビルの周辺および裏側の崖の上の大地を含む一帯の土地は、
大正8年(1919)に、田中平八(1866~1946)が住居と定めた処で、
終戦に至るまで、
広い敷地に山あり川あり池ありの大きな庭園があって、
「田中山」と呼ばれていました。
ここに掲げた昭和23年(1948)の実測図が

その様子を表しています。
時は移り、街の佇まいも、町名も変わりましたが、
昔の呼び名をこの建物に留めました。
1993.6.30

******************

もうこれだけで泣きそうです。
仕事そっちのけで、
これから商談するこのビルの入居社の方と田中山についてぜひ熱く語りたい。
そんな思いを胸に秘め、
このまえの休日にひっそりと再訪してみました。

まずは冒頭の「田中山ビルの由来」の
地図部分をアップで。
まずは上半部の現状図。
(といっても今は昔という現状図ですが…)

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そして1948年の地図。(に加筆したもの)

Img_00091
この水色部分が「川あり」の部分で、
緑色部分が「池あり」なのかと思われますね。
一般の地図とは南北逆転しているのでご注意
池的なものは、崖の下のほう(写真下部・北)と
上のほう(写真上部・南)と2エリアあった模様です。

さらに東京時層地図から参考データを。
(以下「東京時層地図」から転記)

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上は「文明開化期」。
地図のまんなかへん「大木邸」とある辺り。この時点でも崖下に池が写ってますね。
もともと田中さんの手に渡る前に、
崖下にははっきりした池があったようです。

そしてビルにあった地図に時代が近いところで
「昭和戦前期」が下図。

Photo_2

わかりずらい?
はいはい、南北さかさまであることを考慮して加筆すると、
だいたいこんな。水色が「川あり」で緑色が「池あり」の部分。

Photo_3

でも、この辺には最近別な用事で何度か来ているので、
ほぼこの「田中山」は壊滅状態かと想像がつくのですが…。
ではではこれからあたりの現状を探ってみましょう。

**********************************

こにあたり、以前の町名は「葺手(ふきで)町」。
それを関した建造物は田中山ビルの近辺にも結構ありました。
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田中山の敷地をぐるっと回ってみます。

北のほうには江戸見坂。
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すごい落差っすね、先が見えませんよ。
坂にある案内柱によれば、開けた江戸の町がここから一望できたとか。

江戸見坂を下りながら田中邸の周囲をぐるっと回り込み、
ほぼ坂下にきた辺りで見えるのがこれ。
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かつて鞆絵小学校とういう学校があった場所です。
廃墟的な。
鞆絵小学校は1991年、御成門小学校として近隣の学校と統合され
なくなってしまいました。
ってえともう23年もこのように行方定まらず存在しているのか…。

小学校跡をさらに回り込んで進みます。
横断歩道あたりが小学校の正門らしきところ。
少し凹んでいるのがわかります。
田中山から排水があったとしたらここしかないでしょう。
Img_0036

ここは後で触れることにして、とにかく田中山探検。

小学校跡地を覗き込みます。
写真には写り込んでいませんが、左端にはプール跡もありました。
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正面、平らな学校敷地の向こうに崖があるのがわかります。

手元の時層地図で見ると…(青い点が現在地)。
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まさにあの崖下に池があったことになります。
やや興奮。

学校の南側から「田中山」中腹まで登ることができま した。
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どうやら中腹はだだっ広い駐車場になっているようで、そこへのアプローチ登り坂。
どうやらどうやらこの先の駐車場の広い敷地が
虎ノ門パストラル」の跡地(2009年営業終了)のようです。

そういや東京に出てきたころから
「虎ノ門パストラル」って名前だけは良く聞きました。
なんか響きがおもしろいし、パストラミみたいで美味そうだし。
しかし結局私の人生とは一度も接点がないまま無くなってしまったのですね。
パストラル。
ところでほんとはパストラルって何なんでしょう?
ググってみたら、牧歌的とか田園とかそういう意味だと初めて知りました。
なんでまた神谷町のど真ん中に田園…と思いましたが
虎ノ門パストラスは1968年の創業時「東京農林年金会館」と名乗っていたんですって!なるほど。
そんで、1984年に虎ノ門パストラルに改名したと。
なるほどなるほど。いまごろになって感も甚だしい「なるほど」ですが。

田中山中腹にある駐車場ゲートまで登ると、
鞆絵小学校跡地が一望できる崖上に出ることができます。
この眺め。
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正面の緑色に塗装されたあたりが北側の池の跡地です。
また、冒頭の田中山ビルに掲げられた地図で言えば、
その池跡からぐるっと私がいる手前まで
崖下を縫うように大小の池が連なっていたはずです。
連なりの端っこに目をやると、プール跡の横に
雨のせいか崖下の湧水のせいか、水溜りができていました。
湧水のせいではないでしょうね…。
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それにしても、思わぬところで出会った「都心の廃校」。
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なんだかせつないようなわくわくするような、
あるいは手を合わせて何かに祈りたくなるような
不思議な気持ちになりました。

一服して、中腹の虎ノ門パストラル跡地に向かいます。
駐車場、広い!
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視線を左に振ると出発点であった「田中山ビル」方面が見えます。
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駐車場のさらに左側は、
期間限定店舗などに使われていたスペースが拡がっています。現在は閉鎖。
ここは一段低くなっていますが、むしろこの駐車場になっているところが
パストラル建設時に造成され盛土されたのではないかと思います。
過去の地図の等高線からして。
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つまり、「上のほう」の池は上の写真の奥辺りにあったと推測できます。

そこでこのツイートをご覧ください。
田中山でライブ風景を小出しにツイートしていたら、
暗渠・河川仲間のリバーサイドさんからリプいただきました。

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リアルで田中山の中に入って遊んでる!

そのあと何度か再リプいただきました。
どうやらリバーサイドさんが幼いころ遊んだのは、
ここにあった池なのではないでしょうか。

田中山。
しばらくゆっくりと想像してみます。

さて気になるのはそのあとはその水の行方。
昭和の時代には暗渠らしい暗渠はなかった、
というリバーサイドさんの証言。

Photo_5

でも水源あるからには排水もあるはず。

もう一度小学校の正門あたりで見た窪みに近づいてみましょう。
窪みはまっすぐ東に進んでいるようです。
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その沿道に唐突にあった看板建築。古い町並みがあったのでしょうか。

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そのまま国道1号線を通り越して窪みはまっすぐ続きます。
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地形的にいうとそのまま興照院というお寺さんにぶち当たり、
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北(左)に曲がるようです。

その先には赤坂川があるはず。
(赤坂川とは鮫河の下流)
田中山からの水はおそらく、
開渠ではないにしろ
自然流下式の下水道ででも
赤坂川に繋がっていたのではないかと思います。

リバーサイドさん、貴重な証言をどうもありがとうございました。

**************

田中山のことを知らなければこんなところを探索しなかったなあ。
そして「田中山ビル」にあるお客様と仕事のつながりがなければ
田中山なんて知らないままだったなあ。
人生は思ってもみなかった出会いに満ちているものです。

より大きな地図で 神谷町 を表示

2014.3.17追記:記事公開後、リバーサイドさんから
「小学校の先の道、川ではないよ。だって桜田通りに出たところの左側、僕のおうちがあったところだもん。」
とのツイートをいただきました。
貴重な証言をどうもありがとうございます。


「(時代をお察しするに)昭和の半ばすぎには「川面」は無かった」
ということですね。
…しかし確かに現地では微妙な傾斜がありました。
と、こういう時は「下水道台帳」を参照しましょう。

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確かにこの通りから自然流下式の下水が通っていますね(青矢印)。
比高が高いところに池があるからには必ず「排水」があるはずです。
私が池の存在を確認しているのは明治のはじめです。
(それ以前は松平右近のお屋敷だったようですが池の有無は未確認です)
手元にある地図にも、「川」としての記載はありません。

そう考えると、
田中山の池の流末については
①明治の初めにはすでに下水道管によって自然流下式で排水されていた。
②もともと側溝のような小さな排水路があったが、ある時期に下水として暗渠化された。
という二つの可能性が残ります。

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暗渠ハンター 彩の国 藤右衛門捕物帳④逆向き野郎(支流)を追いかけて

不定期連載、浦和は藤右衛門川のシリーズに戻ります。
前回までは藤右衛門川の本流支流をご紹介しましたが、
いよいよ今回からは藤右衛門川最大の支流、「天王川」。

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google earthさん東京地形地図さんいつもありがとうございます。

天王川は、駒場運動場の手前で藤右衛門川に合流するのですが、
最遠の水源(JR与野駅のすぐ近く)までの間に
非常にたくさんの支流が合わさる大変な(辿って歩くのが)川です。

しかし。私は土地勘のない初訪だったのでアレですが、
ご近所に暮らす方にとっては「あ?こう繋がってたのね!」的な
楽しさを感じていただける川なのではないでしょうか。

そもそも天王川の「天王」ってなんでだろ?
と疑問もわきましてちらほらと調べたところ、
「レファレンス協同データベース」にこんな記述がありました

なるほど、「天王さま」と呼ばれる信仰対象(牛頭天王もしくは天王社
が近くにあったから、というわけのようです。
さらにこんな記述もありますね。
「この付近から本太中学校の横をへて流れていた川と天王川と呼んでいましたが、その前は大堀と言っていました。」
「水源は上木崎四丁目から湧きでた水が…」

どれどれ、これらを現調を振り返って紐解いていくことにしましょう。

******************************************************

まず今回は地図中「緑の1」から行くです。

ここが、藤右衛門川と天王川の合流点です。
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写真の足元から前に向かって、そして左へと流れていくのが藤右衛門川。背後には幹線道路越しに駒場運動場の広い敷地が控えています。
右に見える車止めが天王川。ここに向かって流れ込んでいます。
こんなふうに。
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数歩歩くといきなりこんな「小川」も合流してくるけど、

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先が長いし開渠なので(笑)ばっさりカット。
上流に向かいます。

おお、さっそく支流暗渠が出現。
Img_0076
これは上の地形図での「緑の2」です。
(ちょっと合流点のプロットが間違えてるのに今気づきました;;;
詳細は文末に貼るgoogle地図を参照願います;;;;)

しかしこの地点から左に振り返ると…
もう一本の暗渠がっこに合流してきています。つまりここは3つの暗渠の交錯地点!
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こちらを追いかけてみるのが今回です。
南下して先を見に行きましょう。

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お。行く手に車止めが見えます。近づくと。
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すらっとした暗渠。
ここから180度回転すると
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あ、続いてる。しっかりと。
こちらが「緑の1」の水路です。

冒頭のスタート地点、
「天王川と藤右衛門川が合流するところ」に向かって
しっかりとした流れがあったようです。
4枚前&3枚前の暗渠はどうやら「連絡水路」のようなものだったようです。
きっと昔はずらーっと田んぼが拡がる光景だったのでしょうね。

上流に進む前に、少し下流を辿ってみます。
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ここで国道463号線にぶつかり、国道に沿って
「天王川と藤右衛門川が合流するところ」
で合流するのだと思います。
かなり合流点はじゅくじゅくした土地だったのでしょうね。
まあ先の「連絡水路」もあることだし、
ここでは便宜上天王川の水系として扱うことにします。
また、国道463号線と仲良く流れているので
「天王川 463支流(仮)」と名付けることにします。

ではいよいよ463支流(仮)の上流を探す旅に出ることとします。

国道463号線の北側を並行するように暗渠が続きます。
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そして突然左に曲がり、国道463号線にぶつかります。
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もしかしたら国道を横切って向こう側に続いているかも知れません。
天王川本流とは全く反対方向となりますが、
冒頭地形図でもわかる通りこの一帯の谷はあちこちに入り組んでいるので
十分にあり得ることです。
しかし道路を渡って463号沿い対岸をきょろきょろしましたが
接続場所はわかりません。
形跡ゼロ。

見失ったかなと思いつつさらに一本南の裏道路に入ってみたら、
お!あそこがうっすら谷になっている!
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近寄ってみると果たして!
国道方面から続くように細い開渠が始まっていました。
Img_0091
やった!嬉しい瞬間!!やめられまへんで。

コの字ウォークで先に進むと、
駐車場の間を小気味よく削る谷が現れます。
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そのどんつきがこちら。
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そのどんつき手前でさらに細い暗渠が右手(左岸)から合流。
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ここを数歩下がって撮ってみたのがこれ。
Img_0095
左がどんつきです。
右から合流する細い暗渠は数メートルで終わってしまします。
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ここが本太4-7
どうもどんつき含めてのこのあたりで水が湧いていたようですね。
さらに上流方向は小高い台地になっていました。
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久々の更新ができてほっとしとります。この時期はなかなかにいそがしくって。

より大きな地図で 浦和 を表示

よっしゃ次回は「緑の2」行ってみましょう。

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