暗渠ハンター MIZBERINGに三土さん登場‼

水辺を愛でるサイト「MIZBERING」で昨年9月から連載をスタートさせました
水のない水辺から~暗渠の愉しみ方」ですが、
おかげさまでようやく半年になります。

ちょうど最新記事もアップされたので、ちょっと振り返りつつ宣伝を。

昨年9月の第1回はこちら。「暗渠への誘い」として概論を書いております。

そして10月の第2回
概論の続きですが特に「暗渠サイン」による暗渠の見つけ方について書きました。

第3回からはいよいよ暗渠者たちによる水辺探訪の競作がスタート。
トップは本田創さんによる「和泉川」の話題です。
途中あの「はっぴいえんど」の「ゆでめんジャケット」にある建物にも触れ、
松本隆さんのtwitterでも取り上げていただきました。

そして第4回は不肖私が目黒区の羅漢寺川を取り上げました。

1か月お休みを挟んで、とうとう今回の第5回は、
三土たつおさんによる谷端川(藍染川)。
やさしくてわかりやすい三土節全開、お楽しみください。

そして次回は満を持して吉村生さんの登場。
こちらもお楽しみに!

ところでこれらはすべて
「コメント欄」のない記事なので、
みなさんからの声を聴くことができないのが残念・・・。
どうぞお気づきの点ありましたら、当ブログでご教示くださいませ。

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暗渠ハンター 方南町と南台を貫くはしご式開渠のこと

まさかこんな都心にはしご式開渠が‼?
とあまりにびっくりしたので
興奮冷めやらぬうちにアップしておきます。
ちょうど杉並区と中野区の区境になってるところですね。

帰宅してからググってみたら、猫またぎさんでなくHONDAさんが2009年に記事にされていました。

この写真と見比べると、手前のわずかな「蓋暗渠」部分の長さと素材が変わったようですね。

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ちなみに撮影位置である道路から神田川までの距離はわずか。高低の関係や道の曲がり具合などからから言っても
この開渠はこの道路とともに蛇行し神田川へと注いでいた模様です。
便宜上ここを「神田川 方南南台区界支流(仮)」としておくことにします。

では奥に進んでみましょう。
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開渠の端にパイプが這わされています。
接続の状況からみておそらく雨水管でしょう。
普段の雨水はこのパイプの中の「密閉空間」を通って排水され、
それで賄えないくらい大量に雨が降る「非常時」にこの開渠に水をあふれさせて流す、という構造なのではないでしょうか。

さらに奥へ。
光の加減でなんだか神々しさまで出てきました。
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ブロックの中を割り込むようにずんずん奥へと続きます。
が、このへんで追跡の限界。
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続きが見られるところまで「コの字ウォーク」で凌ぎましょう。
途中この住設工事会社的な敷地の資材置き場で
一端が垣間見れます。
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どうやら車の後ろの小屋は水路上に建っている模様です。
つまりこの開渠が一時的に「小屋蓋暗渠」となる区間です。
ここを越えると再びはしご式開渠で
家々のスキマを縫っていきます。

ブロックの反対側まで来ました。
水路はこの駐車場を奥から区境と共に貫いてくるはずです。
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駐車場の奥はここ。
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幅の狭い塀の向こうの水路は暗渠となっています。
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さてこの先は、と。
歩道に加工されたと思しき痕跡を辿って上流をを探ります。
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む。区営住宅。
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この区営住宅の沿って南に回り込みさらに南の台地に登りかけるあたりで痕跡は途絶えます。
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このあたりは南と東の二方の台地に囲まれる
窪地になっていますね。
この辺から水が湧いていたと考えてもよさそうです。

それにしても、ここは新宿から直線距離で僅か3.5㎞の場所。
こんな都心ではしご式開渠が残っているとは驚きました。
ぱっと思いつく中では東松原のはしご式開渠ですが、
ここは新宿から5㎞、渋谷にも4.5㎞ですからねえ。

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暗渠ハンター 浦和・藤右衛門遺文②瀬ケ崎支流(仮)

前回に続いて藤右衛門川の補記です。

今回は、この記事の後半で取り上げた
「藤右衛門川・神花レッズ支流(仮)」のさらに支流を取り上げます。
神花レッズ支流には市立木崎中のところで西から合流してくる支流で、
住所では瀬ケ崎というあたりなのでそのまま
「藤右衛門川・瀬ケ崎支流(仮)」
としていきましょう。

ここがその合流地点。

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実は初回のときこっちの支流も目に入ってはいたのですが、
時間の制約もあったので
まず主流を網羅してこの川の体系をつかむことを優先し、
こちらは後回しにしていました。
ようやく満を持してこちらを、ということになるんですが
非常に短くてあまり見どころがないかも…。
でも取り上げないのもキモチ悪いのでやり抜きます。

まずこちら、合流地点から神花レッズ支流(仮)の
下流方向を見たところ。
レッズですねえ。だんだん自分でも思い出してきましたw

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そして。さあこれが瀬ケ崎支流の正体です。

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そうそう、藤右衛門川水系には雨水幹線が張り巡らされているんですよね。
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片側だけの歩道が続きます。
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やがてY字路となり左右に分かれますが、
その左右とも谷になっているので
おそらく両側から流れがあったのではないかと思います。
こちら左(南から西へと続く谷)。
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こちらは谷地形以外殆ど痕跡はありません。

一方こちら右(北上する谷)。
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この北上するほうから、先に辿ってみましょうか。

このような雨水排水施設が埋め込まれています。
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送電線「天沼線63」をかすめて
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側溝が続きますがやがて平地となって消滅。
劇的な展開はありませんでした。

ってこれだけでもなんですから、
去年とうとう手に入れた藤右衛門川関連の資料をご紹介しておきましょう。
その名も
「藤右衛門川改修記念 わが街25年の歩み 谷田川河川史」昭和57年 浦和市谷田川排水路改修促進会
というものです。
谷田川というのは藤右衛門川の別称で、
おそらく駒場から南、藤右衛門川と天王川が合流したあたりからそう呼ばれているのではないかと推測します。
川自体の資料というよりは、タイトルの通り
改修するときの苦労話やその尽力者による『改修、やったね!』という武勇伝、などが主です。

また逆サイドから見ると、
「藤右衛門川の川殺しの記録」でもあります。
ほんとこの川についての資料は漁ってもなかなか見つからずにいたので、
貴重な一冊。
いま「川殺し」などと挑発的な言葉を使ってしまいましたが、
これを読むと如何に周辺住民の方が苦労してきたか、
それがつぶさにわかります。
それはそのまま浦和市周辺の近代化の歴史でもあります。
なにしろ当該地域は
「昭和33年には180戸、720人で全体の90%が農地だったのに、7年後の昭和40年には550戸2300人で全体の80%が宅地に変わってしまった」(同資料より)
というありさまですから、
水と人との関係もそのままでいいはずがありません。
度重なる洪水に見舞われ、ようやく昭和48年に数十億円かけて雨水幹線工事が着工となり、
昭和56年に完成したということです。

この資料には、紅白の垂れ幕に囲まれた記念碑や、
完成記念祭時のテープカット、浦和おどりやちびっこパレードなどの写真も掲載されており、
ほんとうに街中で喜びに沸いている様子がみてとれます。

今や雨水幹線となってサイボーグと化した藤右衛門川ですが
それは地域住民の望みであり誇りであるのでしょうね。

やっぱり一概に部外者が
「川を返せ」なんて言えませんよね。

ラジカルにもならず、センチメンタルにもならず。
これからも今の川跡や暗渠をただ見つめていきたいと思います。

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暗渠ハンター 浦和・藤右衛門遺文①原山支流最奥部

みなさま、あけましておめでとうございます。

本年も、健やかな暗渠ライフをみなさまにご提案して参りたいと思います。
どうぞますますのご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

さて。昨年の前半は、憑りつかれたかのように埼玉県は浦和の「藤右衛門川」とその支流のことを書きました。(10本も書いてたのかw)

ところがこれでもまだモレやヌケがあるもので。
去年の後半にはそのいくつかをさらに歩いてきたので、
引き続き散発的にですが記事にしていこうと思います。

まずは今回はここ。
シリーズ第1回で、藤右衛門川本流の「原山支流(仮)」を取り上げたのですが、
そのとき暗渠メイト(←新呼称。「ソウルメイト」みたいなアクセントでどうぞ)の猫またぎさんから
コメントにて
「地形からして違う方向にもっと奥があんじゃね?」
といったご指摘を頂きました。

地形図をみれば確かにその通り。

というわけでさっそく(ってご指摘頂いて半年後でしたが)現地に確認に行ってまいりました。

この「藤右衛門川原山支流(青の1)」のさらに奥の川を
「藤右衛門川原山支流(青の1.1)最奥部」
苦しまぎれに呼ぶことにしましょう。

ここが問題の現場です。私は気づきませんでしたが、
483(463に訂正します※)号線を越えてまっすぐ進む原山支流から分かれ
483(同じく463に訂正します)号線に沿って続く、なんと開渠がありました。

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※当初すべて「463号線」を「483号線」と誤記していました。
お詫びの上訂正させていただきます。申し訳ございませんでした。
ご指摘いただいた方には心から感謝申し上げます。
どうもありがとうございました‼(2015.1.12)

これを見逃すとはなんたる未熟者・・・。
ワンブロック先に行くと、日産のディーラーの前。
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はしご式開渠で続きます。
そして軒先で暗渠に。
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なかなかいい眺めですね。

この軒先が実は暗渠。
ディーラーを訪れる方々の何人がこの事実に気付いているでしょう。
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これですよこれ。
このベンチに座る人の何人が(以下略)。
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483(正しくは463です)号線に沿うのはここまで。
日産の前からはもう一度483(正しくは463です)号線の反対側に移動します。
下の写真が、483(正しくは463です)号線を渡って振り返ったところ。
ディーラーが見えますね。

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この先細い開渠です。

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たどって出てくるのはこんなところ。
生産緑地風の。
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この中をこんなふうに突っ切っていました。
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きっと昔は土の土手の小川だったんでしょうねえ。
ここからアスファルトの道を対岸に渡って
小川は続きます。
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しかしこの先のどんつきで消滅。
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周囲は駐車場で、ここだけがくんと低くなっています。
ここでじゅくじゅくと湧いていたんだろうなあ。

駐車場手前の農地から作業を終えて引き上げてくる
おばちゃんがいらしたのでご挨拶をすると、
獲れたばかりのイチジクをくださいました。
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かつての流れを偲びつ頂くことにいたしましょう。
ではまた、藤右衛門川で!

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暗渠ハンター やとじぃさんに教わった、あげ堀かと思ってた支流

2014最後の更新は「やとじぃ」さんの話で〆るとしますか。

暗渠者の間では「練馬の暗渠にめっちゃ詳しい」と評判の
「やとじぃ」こと平田英二さん。
その方のwebを拝見していて、どうしても気になる場所がありまして。

そのやとじぃさんのブログによると、
「練馬高野台の近くの八幡神社のあたりにある流れは、近くの池からの湧水である」
とのこと。

こう書いてしまうとなんでもないんですが、
この場所、この地形からして
てっきり石神井川の揚げ堀かと思っていたんですよね。
それだけに衝撃が大きくこれはもう直ぐにでも行かねば! と。

で、行ってきました。
神社から下流はまさに「揚げ堀」的な暗渠がたくさん残っています。
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だけどこれ、あげ堀じゃなかったんですね…。

やとじぃさんの情報を頼りに水源方面をたどります。
が、八幡神社から上流の流れはほとんど痕跡はありません。

それでも地形を頼りにたどっていくと、果たして。
水源地であった池の跡・市杵島神社。
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なんか「じぶんの頭の中の誤字脱字」を上書きできたようで清々しい気分。

その後、ある方のお計らいにより
武蔵野市水の学校」にて講師をなさっている
平田(やとじぃ)さんご本人にとうとうご挨拶することができ、
こちらも永年の想いを果たした気分。

やとじぃさんに敬意を表し、
私の中では「石神井川 高野台やとじぃ支流」と呼ぶことにしようっと。

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みなさま、本年もご贔屓いただきまして、まことにありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

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