暗渠ハンター 「MIZBERING」で連載スタート。

今回はおしらせを中心に。

MIZBERINGというサイトをご存知でしょうか。

という趣旨で、
日本全国で起こりつつある「水辺コンシャスな活動」を
緩やかに支援し連携を図る、
といったことをやってらっしゃるところです。
(上はかなり私自身による意訳をしています、間違っていたらごめんなさい)
アドバイザーには憧れの陣内秀信先生なんかも名を連ねていらしたり。

で、そのサイトにて

という月イチの連載をさせていただくことになりました。
1

いやーなんかリアル水辺の話題満載の、
水しぶきがきらきらと迸ってるようなサイトに
こんな薄暗くてじめっと苔むす暗渠話なんて載せてしまってもいいのかしらと
最初は戸惑いました。
それを承知で拾ってくださった編集サイドの
度量の大きさ・懐の深さについてはもうただただ深く敬意を表すばかりです。

すでに掲載から5日間が過ぎようとしているのですが、
このMIZBERINGというサイト自体大変多くの方々に読まれているようで
おかげさまで今までにない手ごたえを実感しております。

もともとは、MIZBERING企画会議の場で
この運営に参加されている渋谷リバースさまが、

「『水のない水辺』である暗渠、ってよくないすか」

と素晴らしい発言をしてくださったことがきっかけになったと伺っています。
この場をお借りして、改めて渋谷リバースさまに感謝申し上げます。

たまたま渋谷リバースさまとは過去に面識があったので、
私にその具現化を持ちかけてくださいました。

その時点では単発記事か連載かは決まっていなかったのですが、
「水のない水辺としての暗渠」というコンセプトに
私もものすごく刺激され、
やりたいこと・言いたいことがもくもくと頭に湧き上がってきてしまったのです。
さらに、私だけではなくいろんな視点で深めていけるともっと楽しいかな、と
これまでも一緒にものを書いたことがある暗渠仲間数人にお声がけしてみました。
そしてみんなに構想をご理解いただきながら
さらにお互いのアイデアをじっくり出し合って連載としての骨格を決めたものです。

(この会議はある夜の「やまじ」で行われました。まさに水辺で生まれた企画であるのですw)

というわけで、今後は毎月10日前後に1年間。

第2回までは私が「水のない水辺の愉しみ方」を概論でお伝えし、以降は
本田創さん
吉村生さん
と交代で具体的な場所を取り上げて「水のない水辺」の愛で方を
ご紹介して参ります。

どうぞ、お楽しみに!

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暗渠ハンター 谷端川 南長崎支流(仮)を再検証。

「暗渠ハンター 神戸の鯉川こんな川」を連載中ですが、
早くもマンネリ臭がしてきたので(自分でも飽きてきたw)
最終回に行く前に1回だけ違うトピックを挟むことにしました。

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南長崎から谷端川に流れ込んでくる支流暗渠のことを書きました。

これについて、2014年6月に「南 長崎さま」とおっしゃる方
(記事中で「南長崎支流の水源」とした池の目の前で育たれた方です)から
貴重なコメントを頂きました。
要約すると、以下。

①「水源」の池は、周りの数件と合わせて公園となった時に人工で作られたものである。

②西武池袋線付近(南長崎3-42付近)は水はけの悪い(水が溜まる)ところだった。

③南長崎花咲公園の前にあるタバコ店の脇から西武池袋線の方角に向かって伸びている細い暗渠がある。これが南長崎支流(仮)に繋がっていたのではないか。

頂いたこの証言と、再度の現調の結果を踏まえ、
記事を検証していくのが今回の目的です。
なお投稿者である「南 長崎さま」のことは
この後出てくる「南長崎」という地名と混同しやすいので、
便宜上以下「南さま」と呼ばせていただきます。どうぞご了承ください。

さてまず①について。
私は元記事では
①-A 私の手元資料「<調査ノート>豊島区の湧き水をたずねて」横山恵美(豊島区郷土資料館研究紀要「生活と文化」第11号2001年12月)を見て南長崎公園付近に湧水と小川があった」という記述を見てここを「南長崎支流(仮)」の上流端と特定する。
①-B たまたま公園内に池があったので、そこではないかと想像する。
と書きました。

南さまの証言によると、①-Bは私のとんだ勘違いw
ということになりますね。取り消させていただきます!
失礼いたしました。

①-Aはちょっと詳しく整理しましょう。
前出の資料「<調査ノート>豊島区の湧き水をたずねて」横山恵美 を
引用させていただきますと(紀要P60)

「南長崎3-30、37(lotus注:37が南長崎公園です)間に湧き出た水は、南長崎2-24付近で西武池袋線にでて線路沿いに流れ、椎名町駅前のストア付近で谷端川に注いでいた(佐藤鈴代氏提供)。明治44(1911)年の武蔵野鉄道開通前の地図にこの小川が描かれている。また足立慶孝氏(1916年生)によれば、昭和10年代まで線路沿いに湿地(原っぱ)が続いていたという。」

と書かれています。
少なくとも明治末期までは南さまのご生家近くから水が湧き川が流れていたと書かれているわけですが、
南さまのお子様時代にはすでにこの川ごと水の気配がなくなっていたのかもしれませんね。
南さま、のちほどぜひお子様時代であったころの年代も教えていただけるとありがたいです。(こっそりで結構ですw)

それ以上の結論は、やんわりと先送りしましょう。

次は②。
先の引用の後半と全く一致しますね!
しかし
南さん仰るように3-42あたりまでも続いているとは
これまで私は全く想像できませんでした。
現地に行ってみると確かに一帯が低くなっていることがわかります。
なるほどなあ。ここまで広がっていたのかと感慨もひとしお。

そして③。
まずは現場検証です。

ここが南長崎花咲公園。
Img_2511
回れ右してそれらしいものを探ると…。
あった‼
Img_2512
これは細いぞ。
おそらくこの暗渠道を最初に自転車で通ったのは
私だと思います。
Img_2513_3
ちなみに左手のおうちではたくさんカエルを育ててらっしゃる
ようで、
ここ(@kaeruland)でいろいろご発言もされています。

自転車のハンドルも通らない難所を過ぎると
(というか過ぎても)こう。
Img_2514
紫陽花がきれいだったので余裕ぶっこいて
カラダを反転させながら写真撮ってみました。
Img_2516
まだ先は細く長く続くのであった。
Img_2518
かなりツラい状況ですがもうあとには引けません。
Img_2519
それでも余裕ぶっこいて振り返って&しゃがんで1枚。
平常心…。不動心…。
このあたりかなり好きな風情です。
Img_2522
やっと広い道キタよ。
Img_2523
この区画は新規造成されている模様。
まだ先が細くつづいています。
Img_2525
ここが出口。
振り返ってみましょう。
Img_2528
電柱のところが暗渠道の出口ですが、
左(東)に向かって道が拡張しています。
南さまは「ここで曲がって東に流れが向かったのでは」
と推測されていましたが、
まさにその通りだと思います。

東に曲がった先は、道に紛れて解らなくなってしまいます。
Img_2530
ですが、わずかな土地の傾きかおそらくすぐに北(西武池袋線方面)に曲がり、
ここ。②でご指摘の場所に集まってくるようですね。
Img_2536

私も南さまが仰った説に賛成です。
南さまお見事!

そうなるとの暗渠の水源は何だ、ということになるのですが、
それがわかりません。
ただ、暗渠の始まりのところは
東西に清戸道という交易上重要な古道が走っています。
殆ど尾根伝いに。
ある程度家や商店が集まっていたはず。
その生活排水を流す「どぶ」だったのではないかなあ、
というのが私の推測です。

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********************
さてここからは余談。
現場検証をしていて自分の過去記事を思い出しました。
それがこれ。
この記事のさいごに地図を掲載しており、
そこには「湧水」として
東長崎駅前のとしま昭和病院横から始まる暗渠を図示しています。
その始点から下流(南方向)を眺めに行きました。

ちなみにこれも先の資料
「<調査ノート>豊島区の湧き水をたずねて」横山恵美(豊島区郷土資料館研究紀要「生活と文化」第11号2001年12月)
を参考にしています。

Img_2563
ここも細い。
Img_2566
ずっと細い。
Img_2569
清戸道を通り越しても細く続きます。
Img_2571

ここで興味深いのは、
先ほどのの暗渠は清戸道から北に流れていて
あたかもこの古道が分水嶺になっていたかのように思えますが、
数百m離れただけのここでは清戸道が低くなっており
反対方向に水が流れていた、
ということです。
世が世ならどっちかが「逆川」とか言われててもいい感じの。
うーん、面白い!

今回の記事はすべて南さまのコメントがきっかけで
書かれたものです。
改めて、南 長崎さまに感謝申し上げます!


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暗渠ハンター 神戸の鯉川こんな川②

では「夏休みローカル特集」、
神戸は鯉川の2回目行ってみましょう。

前回のヘンな構造の鉄骨開渠の上流を見ていきます。
ぐっと幅が狭く・底も浅くなってこんなふうに登っていきます。
Imgp0253

いま無意識に「登る」という言葉をつかってしまいましたが、
神戸の川は「短くて落差が激しい」のが特徴です。
海から上流を目指して歩き出すと、
このへんからかなりの勾配になり
文字通り「上る」というより「登る」状態。

お。多くの暗渠者が身悶えして喜ぶ「切り返し」ですね。
ちなみに剣道でも切り返しという稽古があり、
それは稽古の本丸である苦しい苦しい「掛かり稽古」につながる
恐ろしい序章でもあるのですが、こことは全く関係ありません。
Imgp0256

あ、なんかハト用の風呂桶みたいなかわいい構造物。
Imgp0259
公共金魚鉢とかなのかな。

さらにちょっとまた違った切り返しを経て柵のある開渠となります。
Imgp0260

坂の傾斜が大きくなり、渠も深くなってきました。
Imgp0261

あ。トマソン物件です。どこにも出られないドア。
Imgp0262

この先さらに切り返しが現れますが、
もう珍しくなくなっちゃったんでばっさり割愛。

この開渠はここから近づけなくなり、
崖(盛土してある幹線道路)に遮られてしまいます。
Imgp0267

しかしまだまだ先がある、と。
崖上の道路から今の谷を見下ろすと、こう。
Imgp0275

振り返ると道路の向こう側にはこれ。
Imgp0271
やった、続いてる!

これらの間の道路面にはこんなマンホールがあって
私を心強く鼓舞してくれました。
Imgp0274

この先はもう殆ど「山登り」です。
そうだな、東京近郊で言えば田園都市線の川崎市や横浜市的な高低差ですね。

これが道路を越えてくる暗渠。
Imgp0277

その続きが下の写真の左側(上流→下流方向)。
深い谷です。
こんなドラマティックな風景を日常に呑込んでなお、オバサンは水撒きしています。
Imgp0279

上流方向ははしご式開渠となって続きますが、
Imgp0281
伴走する道はこんな状況。
Imgp0283

実は昨夜もここまでは下流から追いかけてきたのですが、
この奥に写る草の茂みまで来て恐ろしくてあきらめた、
のでありました。
だってこんなだったんですよ昨夜は。こりゃ怖気づきますよね。
Imgp0132

それに比べりゃなんだこんなもん。
服にたくさん蜘蛛の巣付いたが無事通過。
しかし川は右に大きくカーブし見得なくなってしまいます。
しゃあない、Cの字ウォーク。しかもかなり高低差のあるCの字。
マンションの敷地の合間からやっと見えた景色がこれ。
Imgp0288
さらに上を目指し、
こーんなトンネルがある山の上のヘアピンカーブから流れに近づきます。
Imgp0308

見えた。
流れの途中に調整池のような空間ができていました。
Imgp0300

ここに建っていた碑。
(バックの、はるか下方に拡がる神戸の街にも注目願います)

Imgp0297
「追谷川 沈砂池」
「竣工平成5年3月 兵庫県神戸市」
と刻まれています。
そう、鯉川の上流は二手に分かれ、そのひとつは「追谷川」と呼ばれています。
この一帯が追谷という地名ですね。
そしてこれは沈砂池でしたか。

さらに上流は、「追谷霊園」という墓地を抜けて繋がります。
こちら追谷霊園の入口にあった地図。
しっかり流れが書かれています。
Imgp0301
そしてその流れ。
Imgp0304

ここからさらに滝のように上がって続きますが、
この墓地以上は近づく道がなさそうだったので追跡はここまで。
Imgp0306

次回は鯉川の最終回で、もう一つの水源からの流れを追います。

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暗渠ハンター 神戸の鯉川こんな川①

東京の話をしばらくせずに、
いつの間にか「夏休みローカル特集」になっちゃってますが。
今回もそれを踏襲させていただきます。

出張で神戸に行ってまいりました。
まあ当然仕事で行くので自由時間は限られています。
深夜と早朝。暗渠者の出張は二日酔などしている暇はないのです。
今回のターゲットは「鯉川」。

神戸の「地下河川」についてはnamaさんの神戸行で知りました。(このヒトも出張ですねw)

そして同じくnamaさんに教わった「神戸の地下河川」マップ。
(これがいいかんじに画像が粗いのではっきり流路がわからない…。
そういうところが何かに似ています)
これと今回の宿泊場所を見比べると一番近いのが、鯉川。
よくよく調べたら近いっつかもう宿の隣を流れてますよ。暗渠の宿。by西村賢太。

夜にざくっと下見をして、暗渠以外にもこんないい店を見つけ(元町近くの「すず」)
Imgp0205

立ち寄ってから眠りにつき、
翌朝早起きして現地に行ってきたわけです。

さて朝です。出発。
宿を出ると鯉川の河口。そこには鯉にちなんでかこんなどでかいモニュメント。
Imgp0107
薄明るいのは早朝すぎるわけではなく、夕方撮った写真だからです。
朝は光が灯されておらず、わかりづらいので。

さらにここから上を見上げると
鯉川に架かる高速道路の橋裏が望めます。

Imgp0229

しばらくは普通の大通り。
Imgp0231
メリケンロードとか、鯉川筋と呼ばれており、
この暗渠は明治8年に「日米両国負担」で作られたとのことですね

元町駅横でも「鯉川に架かる橋裏」を鑑賞することができます。
Imgp0232

「鯉川筋」は大きな通りとしてこのままずばっと
まっすぐ街を貫いていますが、
おそらく鯉川は地下鉄西神・山手線の上を越えた先で
「一本の支流(?本流かも)が東から合流してくる」と私は読みました。

区割りの怪しいここから斜めに入ってく。
Imgp0365

そしてブロックの裏側ここに出て
Imgp0362

こう繋がってるんだと思うんです。
Imgp0358
ここは車道路面よりなぜか歩道路面が極端に低くなっているところ。
なにか理由がなければこんなことは決してするまい。
ちなみにこの写真は上流から歩いてきたときに撮ったので、
写真奥が二つ前のところに繋がっています。
以降何枚か「上流から下流を見ている写真」が続きますが、
ご覧になるみなさんはしばらく
「下流を見ながら後ろに歩いている」ようなつもりでご覧ください。
無理を言ってすみません。酔わないでくださいね。

中山手通りという大きな通りを上流に超えると、こんな道になります。
(上流→下流のショット)
Imgp0356

さらにうしろ向きで上流へと前進します。
Imgp0355
道の右側にある側溝が鯉川です。
むこうに見えるマンションといいコントラストを作っていますね。
おわかりかと思いますが念のため言っておきますけど、
ほんとに「うしろ向きで歩いてる」わけではないですからね。

さあここで後ろ向きは一旦やめて、回れ右して上流方向を見てみましょう。
じゃん!
Imgp0354
開渠となります!白い柵に囲まれたところ。

手前に見える白い柵の中はこうなってます。
(いつの間にかまた上流→下流方向の写真になってしまいますがご勘弁)
Imgp0353
厳重にガードされた奥に水面が見えますね。

さあそして気になるこの川のゆくえは?!

Imgp0348
…人んちに入ります…。

この先はしばらく追えず、このブロックの終わりのあたりで流路が確認できます。
コの字ウォークっていうより
Cの字ウォークが近いかんじで。
それがこれ。
Imgp0250

なんですかこれは。
こんな開渠初めて見ました。
Aの字を逆さにしたような複雑すぎる構造が、
どこか禍々しくもあります。
何かの再利用鉄鋼なのでしょうか。
それとも護岸の強度を保つための最新の研究の成果なのでしょうか。
いずれにしても過剰。違和感残りますねー。

どうぞ前日深夜の景色も合わせてご覧ください。
Imgp0169

さて今回はここまで。
次回はさらに上流に向かいます。

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暗渠ハンター 同窓会のついでにみつけた宇都宮の暗渠。

前回は京都、そして今回は宇都宮と、
ちっとも「東京Peeling!」ではないんだけど、
まあ夏休み企画として地方もアリ。と心に決めて本日もお送りします。

実は先日宇都宮(故郷のとなり町)で中学校の同窓会があったんです。
そのついでにちらと歩いてみたんですが、
まあ結構見事なものを見つけたのでご報告しましょう。

ちなみに我々の学年は修学旅行で京都奈良に行きまして、
全学年いっしょに京都・広隆寺で弥勒菩薩(前記事参照)を見ています。
何人かの同級生とはそんな思い出話が出たので
「そうそうこの前出張で京都に行ったときに弥勒菩薩見てきたよー」
までは言う事ができましたが、
さらにその前後の「実は広隆寺の周りにも暗渠があってさ
とまで申す勇気はありまでんでした。

さて宇都宮の話。
宇都宮はたぶん水的にはそこそこ恵まれたところだと思います。
関東平野のはしっこで、
北から西にかけての背後を那須・日光・足尾の連山に囲まれ、
そこで涵養されたたくさんの水が数本の川となって宇都宮を通り、
大河川・利根川へと流れ込んでいきます。
栃木県を縦断する東北本線(宇都宮線)に乗るとモロ実感ができますが、
なにしろ特にこの季節は電車から
緑萌える田んぼと川や用水路が織りなすやさしく湿った風景を
満喫することができます。
昔はこれを、単調でつまらない景色だとばかり思っていたのですが、
いまはこの景色を見るためだけに宇都宮線に乗ってもいいな、
とさえ思うようになりました。

そんな宇都宮のすぐ駅前にも田川という大きな川が流れています。
田川って言うくらいだから、
昔からかなり田んぼの用水路としての機能も発揮してきたんでしょうねえ。

もう一本地元で有名なのは市街地を抜けていく釜川。
田川に比べて圧倒的に小さな街中の川なのですが、
「日本で初めて『上下二層構造』に改修された川」として有名です。
まあめざす考え方は違えど構造上は暗渠ですね、これ。
・たくさん水が流れても大丈夫なように川を深く掘り込んだ。
・でもそれだと普段の水面がすっげえ低いところになっちゃうから景観も悪い。
・では「いっぱい水を流す深い堀」の上に屋根を作って、そのうえに「鑑賞用の川」を流そうぜ。
という造りなんです。。
なるほどねえ。80年代に竣工とのことなので、
やっぱ新しいコンセプトで造られたニュータイプ暗渠、と言えそうです。

今回とりあげるのはこの釜川からちょっとだけ離れたところにある、
比較的地味なところを流れる暗渠。
偶然見つけました。

宇都宮の「官庁街」近くの塙田というあたり。
県庁前通りという大通りに斜交して突然現れる鉄板蓋暗渠です。
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ちなみに道の先の黄色い看板の一軒奥はクリーニング屋さん。

鉄板蓋の奥は、唐突に現れた谷が露わになっていました。
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この先谷は続き、慈光寺というお寺の入り口を掠めます。
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この先は2ブロックにわたって一旦水路が消えますが、
下の写真の道に繋がってくるようです。
よしよし!目論見通りで嬉しくなります。
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通りを挟んだ反対側にも続きが見えますね!
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奥に入っていくとこんな。
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このあたりは都内で見られる暗渠と殆ど同じような風体ですね。
おそらく以前の護岸であったろう大谷石の露出も確認できます。
アスファルトの左側のところね。
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暗渠は東小という小学校の門に差しかかりますが、
この流れに門に向かっての橋が架けられていたようです。
下の写真は下流から上流を見たところ。右側が東小です。
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ここで川は少々向きを変えて、県庁前通りを渡っていき、
「カワチ薬品」の横でぱくっと開渠に変態します。
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手前はクルマの出入りのためにアスファルトで
蓋がしてありますが、その奥から川が開きます。
こんな。
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江古田川をミニサイズにしたような作りです。

まっすぐ進みますが、ここで直角に左に(つまり写真奥に)曲がる。
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やはりゴミ捨て場に利用されている模様。

プライベート橋もたくさんありますよ。
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そして墓地の裏へ。すっきりした開渠となります。
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でもなあ。この護岸…。
「ちょっと待て 仏も見ている この町は」で有名な
妙正寺川 上高田支流(「暗渠さんぽ」さんへリンク)みたいに
墓石で作られているんです…。
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そのまま水門にぶつかり、
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田川へと注いでいきます。
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塙田というところから流れてきたので、
「田川 塙田支流(仮)」と名付けておくことにします。


無事一本暗渠を辿り切りましたが、
この合流口の対岸にあったこんなものが目に入ってしまったので
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辿らないわけにはいきません。
これが合流口から上流を見た写真。
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続きは…あったあった。
アスファルトにもちょっと名残が見られます。
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その先蓋暗渠。
斜めからの合流もあって興奮します。
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90度左に曲がって公園の横を通りまっずぐ続きます。
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そして今回何度も出てくる県庁前通りを北に渡って続きます。
傍らには宇都宮で有名な娯楽スポット、サウナの「南大門」。
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残念ながらここでタイムアップです。
しかしこちらの流れは田川に沿って東側を流れており、
おそらくはあげ堀の役を果たしていたのではないかと思います。

近寄ってから思い出しましたが、
実はこの付近は幼稚園に入るか入らないかくらいの時代の記憶が
断片的にあるエリアでした。

このすぐそばに親戚筋の商売の事務所がありまして。
その事務所の新築祝いのときにお呼ばれをしたのでした。
しとしと雨の降る日で、
鉄筋コンクリート造りの事務所も、
その周りの道も建物も湿っていました。
アスファルトの道には、
誰かの家の「サンダーバード1号の有線リモコン」のおもちゃが置き去りにされていました。
そう、無機質で大きな大きなな田川のコンクリートの堤防も濡れていました。

私が住んでいたのは隣の小さな町で、田川のような「大河川」もなく、
もちろんこんな「大規模」に手が入れられたコンクリ護岸も見たことがなかったはずです。
なんだか全体に灰色がかった「圧倒的なコンクリート」の記憶が
夢の中の風景のように蘇ってきます。

喉が渇いたので、今回はビールでなくこれを飲んでおしまい。
こんな味だったっけな。

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より大きな地図で 宇都宮塙田 を表示

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