暗渠ハンター 南馬込の谷の、ミッシングリンク「池尻堀 南馬込1丁目支流(仮)」

前回「練馬にある石神井川の谷イッキ攻め」的なシリーズをはじめたばっかりですが、このシリーズは息長く不定期連載ということにさせていただいて、今日は全く違うエリアのお話をさせていただきます。

以前、南馬込1丁目にある短い暗渠をご紹介しました。
この記事で「この谷B」と書いてあるところです。
「この谷B」を出た水の行く先については、ろっちさんの記事でも取り上げられていましたが、まあずっと気になっていたわけなんです。

先日、またまた断片的ではありますが、その水の行く先について手掛かりを見つけたのでご報告。

まずは概況を掴んでいただくために地形図を。

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左上から右下にかけて、環7がざばっと通っています。
そして右上から左下へ鉄道・横須賀線と東海道新幹線が通っています。
以前「この谷B」として見つけた暗渠は水色のところ。
この先どんなふうに谷底(つまりこの「楓谷(ろっちさん命名)」の真ん中の方)に向かって行くのかなあと思っていたところ、今回、オレンジ色の暗渠を見つけました。
これはすなわち以前の水色の暗渠の「行く先」だと思われます。
水色とオレンジ色を結ぶと、桃色のような流れが推測できるなあ、
というワケなんです。

ではさっそくその現場を。
南馬込1-14-5。
ここ、環7沿いなんですよ。
環7の歩道から、こんな風景が見えるんです。
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怪しい金網。
覗き込んでみると。
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立派なはしご式開渠です。
まさか、環7からこんなあからさまな川跡が見られるとは思っていませんでした。

”小学○年生”的な雑誌に
「あなたのすぐ近くに、四次元への見えない入り口がある!」
みたいな特集がよくあったような気がしますが、そんな見出しを思い出して軽く興奮してしまいますw
轟轟と車の行き交う何車線もある幹線道路から、
異世界への入り口が駐車場と民家の間の小さなスペースに残っていたわけです。

駐車場に足を踏み入れ、行く先(上流)を観察します。
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ちょっと底が浅いですが、はしご式開渠が続きます。
そして駐車場の敷地を回り込むように折れ曲がります。駐車場スペースの背後は小さな崖なので、その崖下を回り込む、といった方が正しいでしょう。
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崖下を伝う流れには蓋がされてしまいます。
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しかし流路は明確。
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駐車場スペースから、民家の狭間へと続きます。
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では上流を、コの字ウォークで追っていきましょう。

民家の狭間からこんな風に出てきます。
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出てくるとすぐカクンと折れ曲がります。
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折れ曲がった先は、蓋とそれを覆うアスファルトが怪しい感じで融合していますね。
ここから先は流路の痕跡が一旦消えます。
しかしさらに厳しい崖下となっているので、崖を回り込むように続いているであろうことは想像がつきます。

その回り込んだ先は、いったん横須賀線・東海道新幹線の線路に分断されますが、
(下の写真の奥が横須賀線・東海道新幹線)
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その線路の向こう側にも暗渠を見つけることができます。
馬込1丁目9。
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ちょっとわかりすらいですが、左側が普通の道、右側が暗渠です。
この短い暗渠を出ると、こんな道に。

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この道の右にある緑のガードレールに護られた歩道が暗渠の続きと思われます。
この歩道が、「以前の水色の暗渠」に繋がっているだろうことは、たぶん地形図からも明らか。
ミッシングリンクをすべて埋めることはできませんでしたが、
おそらくこれらの断片をつなぎ合わせてひとつの流れと考えることができると思います。

そしてこの環7の先は、池尻堀(や池尻大仏支流するすみ支流群など周辺の流れ)と合流し、内川、あるいは六郷用水へと下っていくのでしょう。

というわけで、「この谷B」でみつけた名もない暗渠から続く一連の流れがなんとなく確認できたので、これらをここでは仮に「池尻堀 南馬込1丁目支流」と名付けてみることにします。

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暗渠ハンター 練馬の谷一気攻め①羽沢支流のトタン塀

練馬の、石神井川右岸の谷についてはもう結構な方々がすでにweb上で取り上げてらっしゃいます。

猫またぎさんとか、HONDAさんとか。
このあたりの石神井川右岸って、谷がたくさんあって地形図を見てるだけで楽しいんですよね。
ほぼ練馬区近辺にある「見どころ」を環7と環8の間を中心に適当にざっと並べただけでも10個!
Photo

やっぱりこれは一度は行っておかないとな、と思いたち、先日あっちこっちと行ってきました。
詳しくは先のお二人のブログにお預けして、私はざざっと自分の備忘録的に書いておこうかな、と。何回かシリーズで、時折違うトピックを挟んで断続的に行てみることにします。
ほんとにざざっと。

久々に暗渠「ANGLE」とか使ってみたいんですけどね
この近辺の暗渠を記述しようと思うとたいていこんな感じだから、変化がないんですよね…w

Angle

やっぱりANGLE化して面白いのは世田谷、目黒、品川、杉並あたりの川なのかも知れないなあ…それだけこれらの地区の川跡は変化に富んでいる、といえるのかも知れません。
とはいえ、今回の練馬石神井川支流群も結構面白かったんですよ!ではいってみましょ!

1 羽沢支流
猫またぎさんによる命名の支流。新桜台駅から北上していく流れです。
環7脇にある「新桜台」駅からちょっと北に入ったところにある暗渠入口がこれ。
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練馬区名物「蒼い水路敷」、キタ!
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一応環7の内側から谷が始まってるかもなあ、と周辺を見てはみましたがその痕跡はどうも見当たりません。
この辺りは環7がきっちり元々の尾根筋を通したのかも、知れません。

先に進んでみましょう。
ずいぶん整備が進んでいるのか、もう暗渠も路地化しているところが多いです。
(だから「水路敷」の表示もあるんですよね)

水路敷は、クリーニング屋さん(の裏口)を掠めていきます。
裏口でこれだけの告知ってことは、結構通行量あるのかも。ここw
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いまは擦れていいかんじですが、塗られたばかりのころは相当キッツい青色だったんだろうなあ。この「水路敷」表示は。
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ガードレールに守られた歩道となって続きます。
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急に細くなりました。
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この先にあったのが…。
まずは猫またぎさんのこの記事、12枚目の写真をご参照いただけると嬉しゅうございます。
青いトタン塀からにょっきり生えていた木が…。
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ばっさり。
それにしてもすごい生え方としていたものです。
っていうか塀の作り方がすごいのか…。

実は今回はこの木の報告がしたいための記事でしたw

以降、ガードレールに囲われた水路跡が道の右に左に続きます。
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ヨコの駐車場と比べると結構な段差ですね。
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そして間を一気に端折って、合流はこの仲羽橋という橋のたもと。
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函渠がばくっと口を開けておりました。

より大きな地図で 杉並以北でまとめてみよう を表示

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暗渠ハンター 蜆川と梅田入堀 大阪出張みちくさ暗渠

大阪に出張に行ってきました。
日帰りだったんであまり時間がなかったのですが、思ったよりスムーズに仕事が済んだので、仕事場から大阪駅までの地下鉄の一駅はゆっくり歩いてかえることにしました。

大阪における銀座みたいなところ?北新地を抜けていきます。
以前急ぎ足でここを通ったことがあったのですが、そのとき「ここはかつての川跡で…」的な表示板を見たことがあったんです。
その時は先を急いでいたのと、
その道はやや蛇行はしていたもののすっかり飲み屋街になっていたので「これはあまり面白くなさそうかもな」と思ったのとで、
その時はスルーしていました。

ですが今日はせっかく時間があるので、歩いてみようかと。
それに以前見た表示板ももう一度じっくり読みたいし。

というわけで、中之島と呼ばれるあたりからさんぽスタート。
大阪は水の都と言われますが、ほんと街中を幅広い川がどーんと流れています。
神田川も都心を横切ってますが、あの2~3倍の川幅があるんじゃないでしょうか。
いえ、測ってはいませんが…。
都心では日本橋川や古川などで「川の上に高速道路を通す」という構造が見られますが、
それはこちら大阪でも一緒。しかし川幅がとても広いので、東京のように
「まるで川の上空から蓋をするような」状態にはまったくなりません。
川の端っこをお邪魔しまーす、的に、こんな感じになります。
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そんな大きな川、堂島川の渡辺橋、というところから北新地に向かいます。
そのあたりは堂島と呼ばれているエリア。
「島」とつきますが、ここから大阪駅までは陸続きです。しかしこれから向かう北新地に川が流れていたとしたら、ここは島となるわけですね。

北新地のちょっと手前に、明らかに「ヘンなスペースを残した道」発見。
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なにやら記念碑的なものがあったので近づいてみると…。
国産ビール発祥の地、でした。
あれ、国産ビールの発祥といえば横浜ではなかったか?と思ってよくく読んだら、
『日本人が作った』日本のビールの発祥がここだとのこと。
明治4年に渋谷さんという人が犬のマークの「渋谷ビール」を作ったそうです。
川と関連が深くなってきましたね。

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さあ、北新地に入りました。東京の飲み屋街でいえば銀座、らしいす。
確かに銀座6丁目・7丁目の西のほうとちょっと似てる。
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このあたり、はるか古の天保13年(1842)に公認の遊所地となった、と大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会による観光資料「大阪あそ歩」に書かれています。
別の資料では、なんでもそれは「日本発の公許の遊所地」となるんだそうです。古くからの一大歓楽街だったようですね。その点では、銀座というより神楽坂とか赤坂とかのが近い感じがします。

東西を貫くメインストリートを行くと、まずはこんな記念碑。
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転記します。
「わが北新地」 蜆川は近松の描く浄瑠璃に生きている
ここ新地本通りに沿って蜆川(曽根崎川)が流れていた。明治42年(1909)の大火で、この川が埋められるまで、堂島は堂島川とで囲まれたまさに島であった。近松門左衛門が描く浄瑠璃には、北新地がたびたび登場するが、なかでも堂島と曽根崎新地の境域を流れる蜆川は、それに架かる橋とともに重要な作品の舞台となった。「曽根崎心中」では「梅田の橋をかささぎの橋と契りていつまでも」と、「心中天網島」では「その涙が蜆川に流れたら、小春がくんでのみやろうぞ」と名調子でうたわれた。

ここの川の名は、蜆(しじみ)川。またの名を曽根崎川。
説明にある通り、今は陸続きの堂島を「島」たらしめていた川。
大火後のがれきで埋められたのが、明治42年。
関東大震災、東京大空襲などで東京の多くの川が無くなったように、都市の川は大きな災いにあうたびその「亡骸」で埋められていくのですね。

川が埋められる直接の原因となった「キタの大火」このことを調べていたら、こんな「おとらのしっぽ」というwebの中に「キタの大火」という記事を見つけました。(直リンクを許可いただく連絡をさせて頂いているのですが、まだお返事をいただいていないのでリンクは避けさせていただきますね。ぜひ検索してみてください)
大火の様子、消失エリア、そして在りし日の蜆川などが写真で掲載されています。これは貴重ですね。最後の写真も印象的です。

北新地の通りを西に進むと、南北の大幹線・四ツ橋筋と交差します。
北新地の通りに並行する一本南(つまり歩いてきたほうからいうと、一本手前)の道と四ツ橋筋の交差点にはこんなものが無造作に建てられています。
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元 桜橋。
側面にあるテキストには、
「明治42年7月31日 北区大火にて消失す 昭和48年10月15日 安原」
とあります。この碑がここにあることを考えると、蜆川は北新地の通りを流れていた、というよりも、北新地の通りとこの「一本手前」の通りの間、二つ道に挟まれたブロックを流れていたのかもしれません。
北新地にあった別の碑には地図も載っていましたが、ちょっとこの地図から川幅を想定するのは難しいですね…。
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なんとなく四ツ橋筋を渡って、この蜆川の西に向かう姿を追っていきます。
四ツ橋筋を渡るともう一気にふっつーの街。
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土地の起伏を見ていくと、やはりこちらもこれら二本の道(上写真と下写真)に挟まれたブロックが元の川跡のようです。
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これを進むとやがて阪神高速11号池田線の高架にぶつかります。
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高架の下は、駐車場スペースになっているようですね。
東京の高架下のように、「よくわからないスペース」もあります。
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その先には…思わず声をあげてしまいました。
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橋跡です。この高架下は、暗渠だったのです。

橋の名は「出入橋」。
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太い古木にも似て、とてもどっしりした頑丈そうな橋。欄干も立派です。
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うわー、なんかすごいもん見ちゃったな…。
立派すぎて、しかもそれが「本来の目的に使われないまま」きっちり残っているその違和感に圧倒されます。

これが元・川面。当然川は埋めれれていますが。
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橋の外側に、水道管でも渡してあったのでしょうか。管を下から受けるような金属の受け手が手持無沙汰な様子で残されています。
元川面から、上に架かる高架の橋裏(<ステキ)を眺めたところ。
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高架下は駐車場・駐輪場に利用されているのですが、
その遊休地活用スペースとこの出入橋のほんの少しの間だけ、
埋めた土がむき出しの場所が残っています。
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なんだかこれが川に見えてきました。

ここから10mほど高架伝いに(つまり川伝いに)北上すると、幹線道路が交差する大きな十字路。
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ここは、「志んでいりばし」だそうです!
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なるほど交差点の名前も「新出入橋東」。

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さて、これらが架かっていたのはどんな川だったのでしょう。
帰京してからネットで調べているうちに見つけたのが、このカオスさんの「混沌写真」というブログです。
出入橋のもっともっと美しい写真や、近辺の古地図を掲載されています。

その地図を見ると、ここにあったのは「梅田入堀」という人工開削の堀。
またの名を堂島掘割。

この川の成り立ちについては、ここに架かる高架の持ち主(?)財団法人 阪神高速道路管理技術センターさんのwebに詳細がありました。
これによると、堀の開削は明治11年。
なんと、明治7年に開業した大阪駅に物資を水運するために掘られたものでした。
さらに昭和3年、輸送力増強のため川幅も拡げられ橋も架け替えたとのこと。
そしてモーターリゼーションの嵐とともに、高速道路開通の昭和42年には堀は埋められていたようです。
このときいくつもの橋が撤去されましたが、出入橋は「いろいろ工事が面倒だったから」残されたとのこと。奇跡的なのかも。

さて冒頭の「蜆川」がこの梅田入堀に出入橋近くで合流していたわけですが、蜆川の埋め立ては明治42年でした。両者の関係をちょっと年表風に整理すると、
もともと:蜆川が東西に流れていた。
明治7年【1874】:蜆川に直行するように梅田入堀が開削された。
          (おそらく最初の出入橋もこのとき架けられた)
明治42年【1909】:蜆川埋め立て・消滅。
昭和3年【1928】:梅田入堀の幅員拡張。(今の出入橋が架けられた)
昭和42年【1967】:梅田入堀埋め立て・消滅。

というわけですね。

新出入橋の北側には、親水公園的な何かも。
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しかし当日は知るよしもなかったけど、ここが駅まで繋がる水運路だったとはなあ…。

そろそろ帰らなくちゃ。ということで、ここから大阪駅に向かいます。
大阪駅(梅田駅)周辺はたいへん地下街が発達していて、結構駅から離れた所でも地下街入口があったりします。ほんとはもっと街の景色が見ていたかったけど、小雨が降ってきたのでやむなく近くの入口から地下街へ。
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通路が広い!
ここを歩いていたときは、「まるで地下に流れる川跡みたいだなー」なんて思っていたのですが、大阪駅に物資を水運で運んでいた梅田入堀の事実がわかった今では、もしかするとほんとに川跡を地下街に利用したのかも知れない、なんて思いますw

地下街も大阪駅に近いところになると結構古くてレトロな雰囲気。
こんな飲み屋街も地下街にあったりします。
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30分だけ寄って行こうw
やっぱり土地のもん食べないと。
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どて焼きです。
天井も古いなあ。浅草の銀座線改札付近にある地下飲食街を思わせます。
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カウンターで空席ひとつをはさんだ隣にいたオバチャンから
これうまいで食うてみや、と貝の酒蒸しをいくつか頂きましたw
美味かった&何度も勧められてたくさん食べた  ので、
こちらも何かお礼をと思ってまぐろユッケ注文。
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オバチャンと、お連れの息子さん(といっても50歳くらい)におすそわけです。

暗渠とうまいもんと人情wに触れて、大阪出張満喫。
この横丁も早々に切り上げて、新大阪へ。
駅構内にあった串カツ「だるま」のテイクアウトをアテに、帰りの新幹線では一人宴会開催。
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暗渠ハンター 谷沢川で出会った「みなみはし」

いわば杉並世田谷大田区縦断、みたいなことを自転車でやっていたときのこと。
環8のちょっと内側でこんな暗渠道に出会いました。
ここは、HONDAさんが「東京の水」で玉川台の支流と書いていたところであり、
庵魚堂さんが「世田谷の川探検隊」で瀬田支流と書いていた、
谷沢川の支流でした。
ここではより古い記述である庵魚堂さんの「瀬田支流」という名を使わせていただきます。

蓋暗渠出現。
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上流は、環8を越えて住宅展示場の」あたりでまた見事な(というか結構楽しい)蓋暗渠となるんですが、今回は割愛。先のお二人のリンク先をご参照ください。
ここでは、ここから谷沢川に合流するまでをご紹介していきます。

年季が入った、縁石付の蓋暗渠。

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十字路や個人宅の車庫にあたるたび、蓋はコンクリで増強されます。
同じような構造は桃園川支流あたりでも見たことがあります。

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なんか不連続の並びが、かえってリズムを強調しますね。
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音符にたとえると、全音符があってそのあと8分音符がタタタタタって並んで、がくんと下がるところが休符、みたいな。
あー蓋の並びをリズムに置き換えるってのも楽しいかもw

またちょっと形状が変わってきました。
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八の字型に片側に広がる橋跡。
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しばらく行くと、暗渠+車道タイプから暗渠単独タイプに変態します。それが玉川台2-20あたり。
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こっから、車道を離れていきます。
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いくつか太い車道を横切ってまっすぐまっすぐ延びるさまは、ちょっと杉並区上荻3丁目・善福寺川の支流蓋暗渠とよく似ています。
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その先はこの斜に構えた車止めでおわり、
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もう合流先は目と鼻の先。高架の下が谷沢川です。
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合流するのはこの橋のところ。
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橋の名前は、と…え!「みなみはし」!
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ふむ。以前ここで書いた、烏山川、というか世田谷線の脇にごろんと放置された親柱に刻まれた名前と同じですね。
この記事中には、2012年の3月に補記として
※2012.3.22補記 「世田谷の河川と用水」(世田谷教育委員会)にあった区内の橋リストに『桜丘3丁目で品川用水にかかる橋』として南橋の記載がありました。現地やこことの関係は未確認です。

とつけ足しました。依然この親柱の出自は確認できていません。
ですがここで図らずも「二つ目の候補」を見つけることができました。
まあ可能性としてはこの桜丘3丁目の南橋であった可能性が高い(より現場同士の距離が近い/すでに桜丘3丁目の南橋は消滅している)でしょうが、
「谷沢川改修のときにこの南橋も架け替えられた」としたら…。ない話では、ないかな。
引き続き調査してみます。

ところでこの瀬田支流。玉川台2-18で横からもう一本さらに支流が来ているような気がします。

その支流の支流の合流点から見た、支流の支流の上流はこんな景色。(すげえややこしい記述になっていますな、これはw)
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この歩道がいかにもな感じです。
遡ると、玉川台中公園と、団地。
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八重桜が道路に散って、きれいでした。
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団地の奥の際は段差があり、この土地はちょっとした谷戸になっているようです。

団地付近から合流点を振り返ると、やはり歩道が気になる…。
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ほんの30m程度の支流の支流なんですけどね。

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暗渠ハンター 田園調布区境リベンジマッチ

 

以前、『暗渠ハンター 田園調布に湧く「せせらぎ公園支流」とその他のこと』と題して
田園調布駅の南から東側をぐるっと囲む暗渠・川跡のことを書きました。
その時のコメント欄でhikadaさん、misaki810さんに
「その支流の支流が、田園調布中学校の横にある」ということを教えていただきました。

そんで先日やっと行ってきました、というご報告の記事です。

前回「多摩川 せせらぎ公園支流(仮)」としたのがこちら。
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谷のできかたから、このまままっすぐ東急東横線方面に続いている、
と現場では読みましたが、ここに横から被さってくる支流があるよ、ということなんです。
その支流を確認した今では、もしかしたら東横線方面には川跡はなくて、
元来の川跡は今回のところなのでは…?なんて思ってしまっています。

まあそれはさておき現地をご紹介。
前回の、「暗渠出現」と書いた地点から、田園調布中の崖下の線に沿って世田谷区と大田区の区境がありますが、まさにここ!それが見える地点を探していくと。
ありました。
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ここを左右に川跡が通っているはず。
まず右。つまり下流方向。
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まばらなはしご式開渠が続いていました!
開渠といってもどうやら二重構造になっているようです。
表面は開渠風ですが、底は浅く、さらにこれが蓋になってその下に暗渠が通されているような感じ。
アップで見てみると、私の足元あたりでさらにコンクリ蓋暗渠に変態しているようです。
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そして上流方向。
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こちらはもう完全な、ハードタイプのコンクリ蓋暗渠になって上流に向かっていました。
ここを上流に遡ってみます。
奥の車止めまで来ました。振り返ってみましょう。
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さらに上流は…。
すたれた感じの川跡。
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みることができるのはここまで。
この先は、環8の盛り土でスパッとゴールになってしまいます。
環8からこの谷を見ろしてみました。
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なるほど…。

この先、環8の内側にもこの谷が続いているのかなと環8内側をうろついてみましたが、
もう谷の痕跡はありません。
ぺったんこ。
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まさに谷頭をつぶす感じで環8が造成されたようです。
ここ以外にも、たくさんの谷頭を断絶して環8ができたんだろうなあ。環8に限らず環7、環6もこういうケース、結構ありますよね。
業の深い道路なんですね、都心の環状線って。

再訪のきっかけを作ってくださったhikadaさん、misaki810さんに改めて感謝申し上げます。

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